第117話 該当なし

 作戦〈野辺送り〉の終結は、第三八一日、方面軍の公報で告示された。
 総戦果、還らず艦撃破九。うち七隻が《送り火》の杭、二隻が支援戦隊の砲によるもの。損耗、《燈籠》機関区中破。戦死者、十五名——輸送艦の十二名と、《燈籠》の機関員三名。
 公報は戦果を先に、損耗を後に書く。ハルの帳簿は、逆の順で書かれていた。
 作戦は五十四日間だった。杭の消費七本、囮歌の延べ歌唱時間四百時間余、幽霊シフトの勤務記録は最後まで監査に通り、カザン精錬廠は傷一つなく囮の任を終えた。退避していた作業員二十六名は、解体前環境調査の終了通知とともに職場へ戻った。何から守られていたのかを、二十六人は知らないままでいる。知らないままでいられたことが、この作戦でハルが一番上等だと思っている数字だった。
 合同葬は第三八三日、前進基地の第三格納庫で行われた。
 柩は十五。輸送艦の十二と、《燈籠》の三。《燈籠》の三つには遺体があり、輸送艦の三つは空のままだった。回収できた者とできなかった者の比率は、戦死の書類のどこにも載らない。載らないものを、並んだ柩の蓋だけが知っている。
 葬送式典の弔礼を、ハルが執った。方面軍は嘱託に式の役を割り当てる規定を持たなかったが、戦隊司令が弔辞を読む慣例だけはあり、慣例の方が規定より早く動いた。
 式次第は、体が覚えていた。弔銃に代わる汽笛の長声、名簿奉読の間の取り方、旗の畳み方の手数。七年前に自分を切り捨てた組織の式次第を、一箇所も間違えずになぞれる自分に、ハルはかすかな嫌悪を覚えた。躾は、除隊では抜けない。抜けない躾で死者を送るのが、今日の仕事だった。
 名簿の奉読は十五名、姓名と認識番号。読み終えるのに四分かかった。四分のあいだ、格納庫では誰も身じろぎをしなかった。
 《燈籠》の三名の遺族あての通信記録は、コルベルが整えた。教わったばかりの手順で、最後の数秒に封の印を入れ、七年前の書式で名簿を書いた。出来上がった綴りをガロに渡すとき、彼女は「不備があれば」と言いかけ、ガロは綴りを開いて、三つの名を上から下まで読んで、閉じた。
「不備はない」とだけ言った。それが、教わった側と教えた側の、最初の検収だった。
 式のあと、ガロが寄ってきて、短く言った。
「CA-77のログは読んだ。……俺のじゃ、なかった」
「そうか」
「そうだ。それだけだ」と少佐は言って、自分の艦の三つの柩の方へ戻っていった。それだけだ、と言うために来る男の足は、来た時より少しだけ重そうだった。

 式の翌週、人事参謀から内示が来た。嘱託アマノ・ハルへの、功労章の授与。
「前例のない措置です」と参謀は言った。誇らしげですらあった。「嘱託への叙勲は、規定の隙間を三つ縫う必要がありました」
「その縫い物の腕を、別の書類に貸していただきたい」とハルは言った。
 ハルは辞退の書面を、その日のうちに出した。辞退だけでは終わらせなかった。同じ便で、戦死者十五名への特進上申を起案した。軍籍の六名——輸送艦の軍要員三名と《燈籠》の機関員三名——には一階級特進。民間乗組の九名には、戦時徴用船員の準軍属認定と、それに基づく特別弔慰金の支給。
「叙勲の辞退と引き換えの嘆願、という形は取るな」と、起案を見たナナオが言った。「取引に見えた瞬間、両方とも潰される」
「取らない。書式が別系統だ。別系統のまま、同じ日に出す」
 事務としては悪夢だった。準軍属認定は適用例の少ない条文で、所管が人事と経理と法務に割れている。ハルは三つの書式を全部知っていた。七年前まで、彼の仕事は書式の森の交通整理だった。上申の決裁には判子が十一個要る。十一個目の判子が誰の机にあるかは、起案の時点で読めていた。
 功労章は遺族の何も変えないが、特進は遺族年金の等級を変える。数字で残るものだけが、ハルの信じる弔いの形式だった。
 同じ週、戦隊の処遇も決まった。送り火隊は解隊されず、常設の特務戦隊として存続する。次期作戦は未定、当面は整備と待機。コルベルとガロには戦隊勤務の継続が発令され、二人とも異動願を出さなかった。出さなかった、という事実だけが人事記録に残り、それで十分だった。
 夜、ハルは帳簿の引き算を見た。四千十二、引く、二十三。三月で九つ進んだ引き算は、終わりまであと三千九百八十九ある。月給をもらいながら進める引き算は、もらわずに進めた引き算と同じ速さで、彼を軽くしなかった。

 摘出痕の漂流体についての正式照会には、回答が来た。
 定型文、一枚。
 ——照会のあった事案について、調査の結果、該当記録なし。
 起案者の署名のない、様式だけの紙だった。消えた報告書の受領印と、該当記録なしの定型文。二枚を並べると、書類は完璧に閉じていた。完璧に閉じた書類は、完璧に閉じているという形でだけ、何かを語る。
 ホークは、定型文の三日後に来た。今度も舷梯の下に一人で立ち、今度は先に頭を下げた。きっちり十五度、参謀の礼だった。
「お前の報告書を消したのは、私の局だ」
 言い訳から始めない詫びだった。
「摘出痕の件は、特務局の継続案件に触れる。だから機密区分を上げて、本文を封じた。——あの漂流体の中枢を抜いたのは、うちの回収班だ。七年前から、協定違反技術の回収は続いている。公にできない形でな。お前たちが見つけたのは、その作業の痕だ」
「七年前から」
「終戦処理の、いちばん日の当たらない区画だよ。野に残った中枢を、教団より先に、闇市より先に確保して封じる。手が回らずに取り零したものが、人を喰った例もある。誇れる仕事ではない。だから記録にも、お前の報告書にも、残せない」
 彼はそこで、初めて目を伏せた。
「該当記録なし、という紙をお前が読む——その様式の冷たさも、分かった上で送らせた。すまんとは言わん。代わりに一つだけ言っておく。お前を、これ以上この汚れ仕事に巻き込まないためだ。墓を開ける仕事と、開けた墓の中身を運ぶ仕事は、別の人間がやるべきだ。後の方は、私のような人間がな」
 説明は、またも完璧だった。
 完璧で、ほとんど全部が検証可能で、検証可能な部分は全部本当だろうとハルは思った。回収班は実在する。摘出痕は実在する。協定違反技術も、それを封じる必要も実在する。実在の部品だけで組まれた話を疑うには、部品ではなく、組んだ手を疑うしかない。
 七年前、調査も弁明も許されなかった男に、誰も言わなかった言葉がある。お前の除隊は不当だった。それを最初に言った人間を疑うには、ハルの七年は少し長すぎた。
 彼は、信じることを選んだ。選んだ、という自覚だけは手放さなかった。
「……了解しました。照会は、終わりにします」
 ホークが去ったあと、艦に戻る舷梯の途中で、ツクモが言った。
「艦長。本日の説明を解析しました。構成部品は、検証可能な範囲で全て真です」
「そうか」
「構成そのものは、検証不能です。真の部品だけで組まれた構成物の真偽は、部品の側からは判定できません」
「……知っている」とハルは言った。「判定できないものを、人間は信用と呼ぶ」
「記録します。判定不能の運用名称、信用」
 彼女がその項目をどの領域に置いたのかは、訊かなかった。

 同じ定型文の写しを、医務室でナナオも読んでいた。
 老医が見たのは、本文ではなかった。様式の隅、発信元コードの十二桁。回答の名義は方面軍司令部になっている。だがコードの頭の三桁は、方面軍のものではなかった。参謀本部特務局、直轄回線。
 該当記録なし、という回答を、記録の在り処を管轄する部署それ自身が、方面軍の名前を借りて出している。記録が無いのではない。無いと言える者が、書いている。
 ナナオは写しを畳んだ。畳んで、何も言わなかった。言わない、という処置を選ぶとき、医者はたいてい、まだ診断を確定させたくないだけだ。確定には、検査が要る。
 翌朝、医務室の端末から休暇願が一通、提出された。期間、四日。行き先の欄は、空白だった。