第125話 問答

 次に会うときは検分ではない——その言葉は、三日と保たなかった。
 第四五〇日、帰投針路。第四星系の縫航ゲートまで残り四時間の残骸帯——大戦中に護送船団が一つ、まるごと沈んだ旧戦場——で、ツクモが三つの熱源を拾った。
「縫航反応、三。聖騎士団の追撃艦二、巡察艦一。配置は三角形——本艦のゲート針路を底辺で塞いでいます」
 彼我の条件を、ツクモは三十秒で並べた。
 敵の装備は二系統。広帯域の周波数封鎖——囮歌を潰すための、教団が対AI戦で磨いてきた電子の蓋。そして対中枢焼夷弾——装甲を貫いて中枢区画だけを焼き尽くす、浄火の名を冠した誘導弾。三隻が封鎖域を重ねながら三角形を縮めれば、偽装は剥がれ、剥がれた裸の艦体に焼夷弾が刺さる。教団の対AI戦術は雑ではない。雑であってくれた方が、よほど楽だった。
 対するこちらの縛りは四つ。撃てば負ける——正面火力は巡洋艦最弱、これはいつもの縛りだ。撃ってはならない——教団士官を一人でも殺せば、引き渡し要求に殉教の大義が付き、戦は教団全体を敵に回す。寄せられてはならない——近接の検分はTYPE-9の露見と同義で、露見は艦と乗員全部の終わりだ。そして、留まれない——縫航充填に五十分、ゲートの口は一つ、口の座標は互いに知っている。
 縛りを破った場合の値段も、それぞれ書ける。一を破れば全滅、二を破れば戦争、三を破れば摘発、四を破れば包囲の完成。値段の書ける縛りは、まだましな縛りだった。
「要約します。勝てず、撃てず、触れられず、急ぐ必要があります」
「……いつもより一つ多いな」
「はい。新記録です」
「医務室は」
「二重隔壁、閉鎖済み。ドクが付いています」とツクモが言った。「検波が強まれば、彼女には痛みます。隔壁は音を減らしますが、ゼロにはしません」
 ゼロにはしない。この艦の防御は、いつもどこかが、その但し書きでできている。
「選択肢を確認します」とツクモが続けた。「一、引き返して第四星系の予備ゲートへ。二十六時間、その間に包囲は再構成されます。二、待つ。先方の補給が先に切れますが、本艦の検分が先に終わります。三、抜ける。……推奨は三です。推奨理由は、一と二が存在しないからです」
「……それは推奨と言わない」
「言いません。ですが様式上、推奨の欄は空欄にできません」
「……お前も役所みたいなことを言う」
「私は軍の備品でした。役所の、親戚です」
「ヴェイン。残骸帯の中の操艦余地は」
「……狭い。だが、ある」
「具体的には」
「向こうは三隻で網を張ってる。網は、張ってる側も動けん」

 逃走は残骸の中を縫った。
 ヴェインは機関を絞り、沈んだ護送船団の鉄の群れに艦体を紛れさせた。熱を殺し、慣性だけで漂い、残骸の影から影へ。七年前に死んだ船たちの墓場を、墓場の静けさと同じ速度で渡っていく。追手は急がなかった。三角形を保ったまま封鎖域を重ね、疑わしい影に焼夷弾を撃ち込んでいく。弾は古い輸送船の残骸に刺さり、内側から白く焼いた。死んだ船が、もう一度燃えた。
 焼夷弾の残数を、ツクモが数えていた。十六、十五、十四。数が減るほど撃ち方は慎重になり、慎重になるほど、封鎖の縮み方は正確になった。
「封鎖域、重なりました。囮歌の有効帯域、残り二割」と彼女が低く報告する。「充填、六割。……焼夷弾、近接。残骸に命中。本艦ではありません」
「本艦ではありません、を、あと何回言える」
「確率の問題です。確率は、申し上げないお約束でしたが」
「……同盟の、輸送船だ」とヴェインが言った。
 それきり黙った。あの男の故国の船が、確かめるためだけの弾で焼かれていく。舵は半度も乱れなかった。乱れない舵が、彼の声の代わりだった。
 医務室から、ナナオの短い報告が二度上がった。一度目、検波増大、患者は耐えとる。二度目は、もっと短かった。——歯を喰いしばっとる。急げ。
 急げ、と言われて急げる局面ではないことを、老医も知っている。知っていて言うのは、医者の側の手順だった。痛みの隣に、急げと言う者がいること。それだけが、隔壁の向こうへ届く唯一の処方だった。
 四十分が経った。封鎖の三角形は残り二千キロまで縮み、充填は八割。残骸の影は、あと二枚で尽きる。二枚で尽きることは、向こうの図面にも描けているはずだった。
 そのとき、封鎖が薄くなった。
 電子の蓋が、申し合わせたように一枚、開いた。空いた帯域に、平文の音声が流れ込んできた。全周波数、暗号なし、宛先指定なし。宙域の全部に向かって、セルマ・ヴィオの声が言った。
「葬儀屋。聞こえているな」
 応答すれば、位置が割れる。それを承知の問いだった。罠であり、罠であることを隠しもしない問いだった。封鎖を解く直前、彼女が部下に命じる声が、帯域の端に短く乗っていた。——逃すな。だが、聞かせろ。
「貴様の手順は見た。死者の声を読み、墓を作り、記録を残す。手間のかかる仕事だ。——だから分からん。教えろ、異端者」
 声は、罠の声ではなくなっていった。
「貴様が撃つのと、私が焼くのと、何が違う。貴様も奴らを殺して金に換えている。杭の値段も、賞金の額も、ギルドの手数料も、私は調べた。賞金一、二〇〇万。杭が二五〇万。手数料が一八〇万。あの収容艦の死は、差し引き七七〇万の儲けだ。私の浄火は、教団の金で焼いて、一クレジットも残らん。それだけの違いか。それだけの違いだと、貴様も思っているのか。——私は一隻ごとに祈る。祈りの言葉は決まっている。貴様には、決まった言葉があるのか。答えてみせろ、葬儀屋。何が違う」
 艦橋は静かだった。計器の明滅だけが、時間が止まっていないことを示していた。
 ハルは、通信機の送信鍵の上に手を置いていた。置いたまま、動かさなかった。
 答えれば死ぬ。それは事実だ。だが手が動かない理由は、それではなかった。埋葬と焼却の違いを語る言葉を、彼は持っていなかった。撃つことを正当化しているのは罪悪感で、罪悪感は理屈ではない。四千十二から引き算を続ける帳簿は、彼を撃たせる理由にはなっても、彼が正しい理由にはならない。読むのと祈るのと、何が違う。覚えているのと赦されるのと、どちらが死者の側の言葉だ。問いはハル自身が七年、答えを出さずに枕の下に敷いてきたものだった。それを今夜、敵が声に出しただけだ。
 沈黙が三十秒続いた。封鎖の向こうで、セルマが待っているのが分かった。撃つための待ち方ではなかった。あれは、答えを待つ待ち方だった。罠と問いの両方を一度に張れるほど、あの女は器用ではない。問いの方が、本物なのだ。
「艦長」とツクモが言った。「反論を提示できます。論点は三件。送信は位置の開示と等価ですが、文面だけなら、いつでも」
「……やめろ」
「内容の確認もですか」
「内容もだ」
 機械の作った正しい反論で、あの問いに答えるくらいなら、黙っている方がまだ正直だった。ツクモは二秒黙り、それから言った。
「了解しました。反論は保存します。百四十件の隣に。……艦長。沈黙の継続を、回答として記録しますか」
「記録するな」
「了解しました。未回答のまま、開いておきます」
 封鎖の蓋が、閉じ直された。問いの時間は終わりだった。
 最後の手は、ツクモが歌った。残り二枚の影の一枚——タンクに反応材の残った古い給油艦の残骸に、囮歌の断片を一秒だけ吹き込む。中枢の鼓動に似せた、一秒。それ以上歌えば封鎖に喰われ、それ以下では届かない、ぎりぎりの一秒だった。焼夷弾が二発、吸い込まれるように刺さり、残った反応材が白く咲いた。検波網が灼けて、九十秒、目が眩む。
「舵、もらう」
 ヴェインが機関を全開にした。九十秒の闇を、《送り火》は一直線に駆け、ゲートの口に滑り込んだ。縫航の光が艦を包む寸前、開いたままの平文帯域に、セルマの声が短く残った。
「——答えなかったな」
 追ってはこなかった。
 追ってこない理由を、ツクモは三通り保存した。燃料の残量、ゲート管制圏での交戦規定、そして——三つ目の欄を、彼女は珍しく空欄のまま保存した。
「三つ目は」
「不明です。強いて記載するなら——問いの答えを、まだ受け取っていないから。ですがこれは観測ではなく、推測です。推測は空欄に分類します」
 縫航の闇の中で、ハルは送信鍵から手を離した。離した手のひらに、鍵の縁の形が薄く残っていた。押さなかった手が、押さなかったことを覚えている。答えなかった問いは、消えない。保存庫の百四十件と同じだ。消えないまま、次に開く日を待つだけだ。

 テネブラエの桟橋に着いたのは第四五二日の夜だった。
 係留作業より先に、連合の通信文が待っていた。発信元は外縁方面政務部。様式は命令書。本文は三行だった。
 特務戦隊「送り火隊」の活動を、本日付で停止する。
「三行か」とナナオが覗き込んだ。「丁寧なもんじゃ。七年前は、何行じゃった」
「……二行だ」
「進歩しとるのう、役所も」
 理由の欄は、なかった。理由を書かない様式を、誰かが選んで使っていた。様式を選ぶ手つきの読める文書は、文面より雄弁だ。ハルは命令書を帳簿の裏に挟んだ。挟む場所が、だんだん厚くなっていく。