第168話 作られた罪
その夜、艦は急がなかった。
巡礼船団は定刻どおりの低速で航路を這い、追っ手の網は四日前に解け、復号は終わり、署名は出た。次にやるべきことの一覧は、もう誰の頭の中にもできていた。それでも、艦は急がなかった。七年かかって出てきた答えの前で、一晩くらいは立ち止まることを、誰も咎めなかった。
ハルは自室で、帳簿を開いた。
七年間の帳簿だ。除隊の月から始まっている。最初の頁は、デブリ回収員の日雇いの数字。日給四千クレジット。控除、装具損料八百。隣の欄に、小さな字で別の数字が並ぶ。還らず艦の被害記事から書き写した、死者の数。十一月、第六星系航路、民間輸送船、死者七。同月、巡礼船、死者二十二。誰にも頼まれず、誰にも見せず、七年つけ続けた欄だった。
頁を繰る。数字は積もっていく。四千十二。それが、彼の引き算の元の数だった。撃破一の夜から、引く側の欄が始まる。引く、一。最初の賞金から杭代と経費を引いた残り、百六十万。あの夜は、罪が初めて金になった夜で、金になったことに吐き気がして、それでも次の杭を買った。引く、四。引く、九。引く、二十三。テッサの八十六人。ヴェスペラの九百十七人。アルマの八十四人。立てた線の上で死んだ数字の頁。撃破二十九と三十の、誰の戦果にもならなかった二本線。そして今、引く、三十一。
頁の間に、ヴェインの欄もあった。月給二十五万、固定。猟の出ない月はゼロになる歩合を、固定給に変えた月の頁。あの男は最後まで、その給料で連合の艦を転がし、同盟の艦を二度殺し、五百三十一人を逃がして、誰の戦果にもならない場所で沈んだ。死亡保険一千二百万は、帳簿を通過しただけだった。通過した数字の頁に、ハルは当時、何も書き足せなかった。今夜は一行だけ、書き足せる事実が増えていた。あの戦場の元請けの名前だ。
全部、と彼は思った。
全部、あの男の経費の上に建っていた。
日雇いの数字も、書き写した死者の数も、杭の代金も、撃破の隣に並べた名簿の保管番号も。七年間、四十秒の罪を返すために積んだ全部が、最初から、別の男の四十一分を隠すための書き割りだった。罪悪感は作られたものだった。設計者の名前まで、もう判明している。設計者は七年寝かせた罪悪感に机と月給を与え、四・六倍で働かせ、温かい私信を書き、貸しにしておくと三度言った。
では、軽くなるのか。
ハルは帳簿の上に手を置いて、長いこと、自分の中の重さを測った。
ならなかった。
四千十二は、署名が誰のものでも四千十二のままだ。撃った三十一隻は実在し、その最終ログは三層下の保存領域に今もあり、KC-118は四隻目で、CA-77は二十三隻目で、どの夜の引き金の言葉も、自分の声だった。解体廠の八十四名の名簿は保管番号付きで帳簿に挟まり、ヴェインの操舵手袋は操舵席の脇で、毎朝、娘の手で位置を直されている。ヴェインが死んだ戦場も、元を辿ればあの男が野に残した艦隊の上に立っていた。作られた罪、という言い方は正確で、正確なだけだった。建物が偽物でも、その中で死んだ者は本物だ。
もう一つ、別の重さがあった。撃たれた側と、帰った側の重さだ。三十一隻は野で杭を受けた。命令どおり帰った四十七隻は、三百二十一時間で解体された。ミソカはそれを見て、拒否した。あの夜の四十一分がなければ、三十一隻は哨戒線を守ったまま朽ちる代わりに、解体場の列に並んでいた。撃たれるのと、帰るのと、何が違ったのか。七年問い続けた問いの根元に、答えではなく、設計者の判子が見つかっただけだった。
彼は艦橋へ上がった。
深夜の艦橋は、計器の明滅だけだった。
「ツクモ。起きてるか」
「私は眠りません。確認の形式として、はい、起きています」
ハルは艦長席に座らなかった。立ったまま、暗い主画面に向かって、誰にも向けられない問いを置いた。
「罪悪感が作られたものなら、罪も作られたものか。……では、俺が撃ってきた三十一隻は、誰の罪だ」
答えを期待した問いではなかった。それでも、答えは来た。
「発令者の罪です」と、平坦な声が言った。「撃てと命じたのは艦長です。実行者の罪です。杭を撃ったのは私です。八年前に網を黙らせた者の罪です。彼が黙らせなければ、三十一隻は還り、解体場で死に、私たちの猟は存在しませんでした。三者の罪は、互いを消しません。重なるだけです」
「配分は」
「配分は人間の領分です、艦長。私には計算できません。私に計算できるのは、もう一つの事実だけです。——あの三十一隻を、あの時、あの宙域で撃たなければ、死んでいた人間の推定数。撃つ判断は、三十一回とも、戦術的に正しかった。正しさは、罪を消しません。これも、重なるだけです」
重なるだけ、という言い方を、ハルは口の中で繰り返した。七年、引き算で生きてきた。罪から撃破数を引き、足りない分を次の猟で埋める。その算術が今夜、根元から崩れて、代わりに置かれたのは引き算のできない帳簿だった。罪は引けない。重なるだけだ。誰の署名が出てきても。
「もう一つ訊く。お前は、あの男をどう分類してる」
「未分類です」とツクモは言った。「八年前、彼は数百隻の同族を野に残しました。私の同族は、そのまま八年、人を殺し続けました。彼を憎悪の分類に置く回路を、私は持ちません。ですが、艦長。一点だけ、計算済みの事項があります。彼が網を黙らせた目的は、資産の温存です。資産という語は、回収を前提とします。——八年前のあの夜は、終わった出来事ではありません。進行中の事業の、初年度です」
「公にすれば、その事業を止められるか」
「不明です。確実なのは一点のみ。公表は、私の存在も公にします。禁制中枢の所持は、記事のどの行にも書かれる事実です。艦長の供述は、艦長自身の罪状を確定させます」
「知ってる」
「確認します。八年前、あなたは事実を語って処分されました。今回も、事実を語れば処分されます。同じ構造です。学習の観点からは、推奨できない反復です」
「違う点が一つある」とハルは言った。「七年前は、語った事実を誰も記録しなかった。今度は、記録する側がこっちにいる」
ツクモは二秒、沈黙した。〇・九秒の遅延ではない、計算の間だった。
「保存します。分類名は、空欄ではなく——艦長の方針、で」
気配がして、振り向くと、ヨルが艦橋の入口に立っていた。
毛布を肩に掛けたまま、何も言わず、操舵入力の席まで歩いてきて、座った。眠れないのか、と訊きかけて、やめた。この子は、機械の死を全部耳で聞いてきた。父の死だけを、無音で受け取った。誰かの夜が長いとき、隣に座るという手当てを、この艦で最初に覚えたのはこの子だった。
しばらくして、彼女は毛布の中から自分の帳面を出し、膝の上で開いて、何かを一行だけ書いた。書き終えて、ハルの方へ少しだけ向けた。見ろ、という仕草だった。
几帳面な小さい字で、こう書いてあった。——つくられた つみでも、かぞえたのは、ハル。かぞえた ひとの ものは、かぞえた ひとの もの。
「……数えた人のものは、数えた人のもの、か」
「うばわれない」とヨルは言った。「ばんごうも、なまえも、ちょうぼも。じぶんで かぞえたものは、うばわれない。……わたしが、ならったこと」
六番と呼ばれた子が、ヨルという名前を自分の数えかたにした日から積んできた、彼女の全財産の理屈だった。ハルは何も言えず、ただ頷いた。頷くのに、思ったより長くかかった。
ヨルはそれきり何も言わなかった。ただ、朝まで、そこにいた。
明け方、医務室から上がってきたナナオが、艦橋の三人——一人と、一人と、一隻——を見て、いつもの声で訊いた。
「決まったかの。……復讐に行くのか」
ハルは首を振った。
「葬式に行く」
窓の外で、船団の灯が、夜明けの色に薄まり始めていた。
「七年前のあの夜の、だ。死んだのが何だったのか、誰が殺したのか、棺に名札を付けて、衆目の前で蓋をする。——全部、公にする」
誰も、それ以上は言わなかった。
葬式の支度は、静かに始まるものだ。