第169話 供述

 巡礼船団は第五六八日、第三星系外れの巡回泊地に錨を下ろした。
 教団の宗務が管理する古い泊地で、保安機構の検問も、軍の哨戒線も、ここでは礼拝の邪魔をしない。《送り火》は船列の七番目のまま、礼拝船の影に着けた。泊地の使用料と補給は、寄進の様式で六十五万クレジット。受領書の宛名は今回も、巡礼者一行、だった。手元の決済票の残りは六百四十二万。逃げるという商売は、収入の欄が存在しないまま、経費の欄だけが動き続ける。
 ソフィ・ラングは、定期の宗務便で来た。
 舷梯を上がってきた女は、記者という言葉から連想されるどの装備も持っていなかった。撮影機材はなく、随行者もなく、鞄が一つ。三十代半ば、歩き方に無駄がなく、艦内を見回す目は、値踏みではなく見取り図を引く目だった。
 会見は艦の食堂で行われた。ハルが席を示すと、彼女は座る前に言った。
「先に条件を言うわ。取引じゃないから、交渉の余地はないの」
「聞こう」
「全部書く」と彼女は言った。「あんたに都合の悪いことも。禁制AIの所持は事実だと書く。艦籍偽装も書く。あんたが撃った三十一隻のことも、撃破の賞金の額も、減額の経緯も書く。美談にはしない。七年虐げられた男の復権の物語、にもしない。そういう記事は読者を泣かせて、三日で忘れられて、反論の的になる。私が書くのは、停波指令の認証系列と決裁符号の話。泣けない記事よ。泣けない記事だけが、七年保つの。——それでよければ、座って話す」
「それでいい。むしろ、それがいい」
 ソフィは初めて、わずかに目を細めた。座り、鞄から録音機と紙の手帳を出した。
「録音を回す。様式が必要なら言って」
「軍の聴取様式なら、答え慣れてる」
「じゃあ、それで。……始めます。氏名と、七年前の所属から」
「アマノ・ハル。星系連合軍第七補給艦隊、外縁第四中継群、通信下士官。三等軍曹」

 供述は、四時間かかった。
 終戦の夜の勤務記録。帰還命令の一斉送信と、外縁方面の中継網の沈黙。再送信間隔の規定超過、四十秒。調査委員会の聴取が二回——二回とも、彼は自分の弁明より先に、命令の届かなかった艦の一覧を要求し、二回とも、要求は議事録に載らなかった。不名誉除隊の処分通知の文面を、ハルは一言一句、諳んじてみせた。ソフィは驚かなかった。諳んじる男だと、調書の写しを読んだ時から知っていた、という顔だった。
「処分に不服は申し立てた?」
「一度。却下された。審査するのは処分を出した側だ。様式上は公正で、構造上は無意味だった」
「いまの言い方、記事に使うわ」
 外環サルベージ社の七年。解雇の朝の、最後のデブリ回収業務。廃艦の発見。艦長就任の経緯は、事実のまま話すと禁制AIの自己申告になったが、ハルは省かなかった。葬儀屋稼業の帳簿。撃破三十一件の日付と宙域と賞金額。経費と、ギルド手数料と、死んだ味方の数。コアタグを出さずに減額を呑んだ五隻目の事情だけは、艦の奥の気配に関わるため、減額の事実までで止めた。ソフィはその欄の空白を見て、何も訊かずに次へ進んだ。
 操舵手の欄では、彼女の方が手を止めた。
「ヴェイン・コルサク。同盟側の戦犯リスト記載。あなたの艦で一年半、操舵手。先月、戦死」と彼女は読み上げた。「連合の慰霊名簿には載らない。同盟の名簿は、同盟ごと消えてる。……この人のことは、どう書けばいい」
「事実のとおりに」とハルは言った。「五百三十一人を逃がして、沈んだ。それだけ書けば足りる。足りない分は、書式の側の欠陥だ」
「書式の側の欠陥」と彼女は復唱して、手帳に書いた。「それも、もらうわ」
 事務的な問いと、事務的な答えだった。事務的だからこそ、録音機の中に積もっていくものは重かった。
 三時間目、停波指令の復号結果の段になって、ハルは天井へ声を掛けた。
「ツクモ。復号の経緯を、技術的に説明できるか。記者に」
「可能です」と、食堂のスピーカーから平坦な声が答えた。ソフィの肩が、ほんのわずかに動いた。動いたのは一度きりで、彼女は録音機の向きを直しただけだった。
「……禁制AIの音声証言って、どの様式に載せればいいのかしらね」
「様式は提案できません。事実は提供できます」とツクモは言い、保存ログの構造、断片の抽出条件、認証系列の収束過程を、十一分で説明し切った。説明の最後に、彼女は頼まれていない一文を足した。「補足します。本証言の証拠能力は、私が禁制品であることにより、法廷では争われます。ですが、報道の様式では、出所の違法性と事実の真偽は別の欄です。私は法廷より、あなたの欄を信用します」
 ソフィは手帳から顔を上げ、初めて天井を見た。
「証拠物件が、自分で喋るのは初めて聞いた」
「私も、記者と話すのは初めてです。相互に、初めての様式です」
 四時間目に、彼女は手帳を逆向きに回して、ハルの前に置いた。
「こっちの七年も見せる。等価交換じゃなくて、裏取りのため。あんたの話と私の紙が食い違う場所が、一箇所でもあれば、記事は出せない」
 中継網保守記録の閲覧申請、却下十七回、開示三回。開示された保守台帳の、修正履歴の不自然な空白。当夜の当直名簿から、後年の版で消えた三つの名前。特務局の予算費目が、終戦の年から七年、毎年膨らみ続けている公開決算の写し。そして、最後の頁の付箋に、除隊処分者のその後の一覧があった。
 四人。一人は中央へ出て、消息不明。一人は採掘船の事故で死亡。一人は外縁で存命——アマノ・ハル。
 そして、もう一人。
 三年前、第二星系の復員者住宅で、自死。
 ハルの手が、頁の上で止まった。名前に、覚えがあった。同じ中継群の、二つ隣の席にいた男だ。処分の日、廊下ですれ違ったきり、消息を追わなかった。追えば、自分の七年を二人分背負う気がして、追わなかった。その男の死亡日の隣に、ソフィの細かい字でメモがあった。遺品に、再審査請求の下書き、十一通。全て未提出。
「……知らなかった」
「知らされない仕組みだったのよ」とソフィは言った。「処分者同士が繋がると、再審査請求は通りやすくなる。だから除隊時に、相互の連絡先は記録から落とされてた。これも保守記録と同じ。消えたんじゃなく、消されてる」
 ハルは帳簿を出し、書き写した。名前と、日付と、十一通。書き写してから、自分の欄の隣にそれを置いた。四十一分の経費の欄は、まだ全行が出揃っていない。
「その帳簿」とソフィが言った。「七年もの?」
「七年ものだ」
「中身は訊かない。表紙だけ、記事に書いていい? ——処分された通信下士官は、除隊の月から帳簿をつけ続けている。それだけ」
「……好きにしてくれ」
「ありがとう。読者はね、演説は信じないの。帳簿は信じる」
 互いの断片が、卓の上で噛み合っていった。彼女の七年は外側から、ハルの七年は内側から、同じ夜を掘っていた。停波指令の復号結果と決裁符号の照合を、ソフィは三度確かめ、三度目に手帳を閉じた。
「記事の背骨は立った。あとは裏取りの仕上げと、運び方。——言っておくけど、運ぶのが一番難しいの。ゲート経由の通信は全部、特務局の検閲網の中。原稿を電波に乗せた瞬間、記事は発表前に死ぬ。物で運ぶしかない。中央まで、検問を抜けて」
「心当たりを当たる」
「あるの?」
「商売の貸し借りなら、いくらか」
 立ち上がりかけて、彼女は一度だけ、食堂の奥へ目をやった。
 配膳棚の隅に、小さな食器が一組あった。縁の欠けた、子供の手の寸法の椀と匙。通路の奥には、医療隔離区の表示のある閉ざされた区画。彼女の目はそれらの上を一秒だけ通り、何も留めずに戻ってきた。手帳は、開かれなかった。
「ひとつだけ確認させて」と、ソフィは戸口で言った。「これで名誉が戻るとは、思ってないわね?」
 ハルは録音機の止まったあとの声で答えた。
「……戻るのは書類だけだ」
「いい答え。それも書くわ」
 宗務便の出航灯が、舷窓の外を横切っていった。