第172話 前倒し
ガロの短信の続報は、二日かけて、断片のまま積み上がった。
第五七五日から七七日にかけて、《送り火》は外縁側の漂泊点で、闇の中継局経由の暗号便と、商会の航路網が拾う目撃報告を突き合わせ続けた。絵は、遅れて、しかし確実に組み上がっていった。
特務局直轄の艦隊、十二隻。電子戦艦三、強襲輸送艦二、護衛の巡洋艦と駆逐艦七。乗員総数、推定一千四百。テネブラエの軍桟橋を第五七四日に発し、針路は外縁回廊深部。補給の積み方が異常だった——商会の港湾筋の目撃では、反応材は規定の倍、だが弾薬の積み増しはほとんどない。撃つ気のない艦隊だ。連れて帰る気の、艦隊だった。
そして発令は、予定を繰り上げての出撃。前倒し、という言葉が、ガロの三通目に裸で書いてあった。
「理由は、こちらの側にある」とハルは言った。「読まれたんだ。記事の包囲が」
ソフィは出発前、裏取りの最終確認を二件、中央の公文書庫に照会していた。決裁符号の最終照合と、職制表の版の確認。照会自体は合法で、内容も無害だ。だが八年前から監視名簿に載っている記者の名前で、その二件が同じ週に並べば、読める人間には全部読める。停波指令の決裁符号と、当時の職制。この二つを最後に固める記事は、世界に一本しかない。
「彼は計算したはずです」とツクモが言った。「記事の差し止めは、もう間に合わない。記者の身柄を押さえても、複製の所在が不明である以上、無意味です。発表後の弁明は、署名がある以上、成立しない。残る選択肢は一つです。——発表より先に、成果を作る」
死者の艦隊の鹵獲。数百隻の自律戦力という現物が手に入れば、停波も、隠蔽も、七年も、すべて「備え」の名で正当化できる。罪状は功績の脚注に変わる。世論は結果に弱く、議会は戦力に弱い。賭けとしては、筋が通っていた。筋が通っていることと、勝てることは、別の話だ。
「勝算の見積もりを言え」
「彼らの計画書は読めませんが、構成から逆算できます」とツクモは言った。「電子戦艦三隻。蓄積したミソカ型の戦術データ。摘出した中枢から起こした制御プロトコル。電子戦で管制を奪い、強襲輸送の移乗部隊で艦を確保する——書類の上では、完璧な計画です」
「書類の上では、か」
「はい。問題は一点だけです。彼らの戦術データの元型はミソカです。元型に、複製の手の内は通じません。——私が姉に学んだことです」
「もう少し言葉を足せ」
「摘出された中枢は、いずれも姉より若い世代です。彼らが起こした制御の言語は、姉が設計時から知っている言語です。人間に喩えます。子供の頃の自分の筆跡で書かれた偽の手紙を、受け取る場面を想像してください。騙されますか」
「騙されんの」とナナオが言った。「差出人の正体まで、筆跡で割れるじゃろうな」
「はい。そして姉は、割れた正体を、利用します」
もう一つ、ガロの断片には貨物目録の写しがあった。強襲輸送二隻の艤装品目。内寸二・一に一・四に一・四——艦載自律中枢コアの摘出輸送規格の函が、合わせて百四十積まれていた。テネブラエの桟橋で《燈籠》に積まれかけた、あの函と同じ寸法のものが、百四十。
「私の分も、あの中にあった計算です」とツクモが言った。「監査の目録では、私は第九類でした。査定額は空欄のままでしたが、函は先に発注されていたようです。函が先で、値段が後。回収という事業の優先順位が、品目表に出ています」
函を百四十用意した者は、百四十隻を持ち帰る気でいる。持ち帰った先で何が待つかは、解体場の三百二十一時間が、もう答えを出している。
ガロの四通目には、作戦計画の付属文書の断片が写っていた。
会敵予定宙域の図。深部の集結宙域を中心に引かれた、捜索円。
ハルはその円を、しばらく黙って見ていた。見覚えがあった。当然だった。半径も、中心も、誤差の注記の書式まで、自分が書いたものだったからだ。
第五三二日、ヨルが単身《晦》へ行って持ち帰った方角と距離。正規艦隊が一個月かけても得られない観測成果として、ハルが自分の手で連合に報告した、あの捜索円。触接維持の任務報告は、規定どおり方面軍を経由して、特務局の机に届いていた。鹵獲計画の精度を最後に一段上げたのは、葬儀屋の観測だった。
「……俺の円だ」
「事実です」とツクモは言った。慰めの語彙は、最初から積んでいない。「報告は任務であり、様式は正規であり、転用を決めたのは艦長ではありません。配分は——」
「人間の領分、だろう。分かってる」
分かっていることと、呑み込めることも、別の話だった。ハルは帳簿を開き、捜索円の頁に印を一つ付けた。何の印かは、まだ自分でも決めていなかった。
警告するかどうかで、艦橋は一度だけ割れた。
「最適解を提示します」とツクモが言った。「沈黙です。当該艦隊は本艦の接収を企図した組織の艦隊であり、その損耗は本艦の脅威の減少です。警告は本艦の位置情報を検閲網に晒す行為であり、便益がありません」
「却下だ」
「では理由を保存します。分類名を」
「乗ってるのが一千四百人だからだ。艦隊の罪は司令部のもので、乗員のものじゃない。……七年前の俺は、あの網の端で、何も知らずに机に座ってた。同じ席が、あの十二隻に一千四百ある」
「保存しました」とツクモは言った。「分類名は——同じ席、で」
警告は、二度試みた。
一度目は保安機構の公用線。カンプ経由で方面軍に上げた「民間観測による敵情の補足」は、検閲網のどこかで消えた。受領の控えすら返らなかった。二度目は商会の報知網に流した航行警報。こちらは流れたが、軍が民間の警報で艦隊を止めた例は、三十年の戦争で一度もない。
「追いつけないのか」
「不可能です」とツクモが言った。「彼らの出撃は三日前。本艦の推進系は七割。ゲートの管制は向こうの手の中です。物理的に、間に合いません」
間に合わない、という答えを聞くのは、七年ぶり二度目だと、ハルは思った。一度目は、四十秒だった。
ガロの最後の断片は、軍事情報ですらなかった。出撃の朝のテネブラエ軍桟橋の、港湾管理の記録映像が一枚。見送りの家族の姿が、検問柵の外に小さく写っていた。手を振る子供と、振り返らない艦列。三十年前から何度も繰り返されてきた、出征の構図だった。あの十二隻の乗員名簿を、ハルは持っていない。持っていない名簿の重さというものを、彼は四十一分の夜から、ずっと知っている。
ナナオが艦橋に上がってきたのは、その晩だった。袖の計時器を外しながら、老医は紙のカルテに数字を一つ書き足した。
「今日の平均、一・二じゃ」
〇・九から一・二まで、三週間かかっていなかった。逃亡の高負荷が進行を速めている、という先月の見立てのとおりに、数字は動いていた。
「自覚はあるかの、九九号」
「あります。応答の発信時刻と、自己の時計のずれとして観測しています」とツクモは言った。「補足します。本件は本艦の戦術能力にまだ影響しません。影響する閾値は、私の症例の先例では二・〇前後です。先例は一例しかありませんが」
「その先例は、十一ヶ月後に僚艦を撃っとる」
「はい。ですから私は、自分の残り時間を、彼らの作戦より正確に見積もれます」
誰も、その先を続けなかった。
ヨルは索敵席で、深部の方角へ耳を澄ませていた。規定の十分を、今日はナナオが十五分に延ばした。延ばす理由を、老医は「医学的判断じゃ」とだけ言った。十二隻の針路の先で何が起きるか、聴ける耳が一つしかない以上、聴かせないことの方が危険だという判断だった。彼女は目を閉じたまま、手だけで帳面に波形の崩れを写し取っていく。やがて、小さな声で言った。
「うみが、ざわざわ、してる」
「海?」
「こえの、うみ。ふかいところ。……みんな、おきてる。ねてた ふねも、おきた。ならんでる」と彼女は言った。「くちを、あけて、まってるみたいに」
艦橋の計器の明滅が、一拍、揃った。
「艦長」とツクモが言った。一・二秒の遅延の向こうから、声はいつもどおり平坦に来た。
「訂正します。これは鹵獲作戦ではありません——給餌です」