第181話 寄せ集めの旗

 出撃の二時間前に、杭が二本届いた。
 軍保管分の払い下げ、一本二百五十万クレジット。二本で五百万は、特命の経費ではなく自分の帳簿から払った。前渡金は前夜で零になっている。葬式の費用と香典は混ぜない、という作法の続きで、喪主の身銭だけは混ぜようがなかった。残高、八千四百九十五万。減った五百万の対価が、弾庫の架台に音もなく降りていく。
「八本」とツクモが言った。「葬送艦計画の本来定数、充足。竣工から三十年目に、初めて設計図どおりの艦になりました」
「最初で最後かもしれんな」
「最後、の根拠は問いません。本日はそういう日です」
 第六一四日、〇六〇〇。《送り火》は岸壁を離れた。
 離岸の押し出しに、〇・三秒の遅延があった。係留索を放してから艦が動き出すまでの、誰の目盛りにも載らないはずの間。二年この艦に乗った男の身体だけが、その半瞬を数えた。ハルは口に出さなかった。ヨルの帳面と、ナナオの計時器に載る数字とは別の、ただの離岸の癖かもしれなかった。かもしれない、で済ませる癖を、彼は最近覚え始めている。
 操舵席は、空けたままだった。手袋は定位置にあり、古い星図の隅で、これから行く深部の宙域が古い印刷のまま待っていた。
 港の灯は、朝の色に薄れかけながら、まだ点いていた。還る者のために点けるのが灯だと、窓口の誰かなら言うだろう。還る側に名前を連ねること。それが六十六隻分の、最初の任務だった。

 軌道を離れると、艦隊が見えた。
 ゲートへ続く航路に、六十あまりの灯が縦に並んでいる。保安機構の武装巡視艇が十二。テネブラエの分署が半身を削った六隻に、近隣星系の応援が六隻。傭兵艦が三十七。第一陣の十四隻に、呼集の網が回廊の遠い港から拾い上げた二十三隻が足された。教団穏健派の護衛艦が六。セルマの三隻に、祝別の書面だけで動いた別管区の三隻。ガロの《燈籠》。コルベルの、まだ名前のない駆逐艦。ロー商会の補給船団が、タンカー三隻と工作船一隻。
 戦闘艦六十一、補給四、旗艦一。総勢六十六隻。
「艦種、十一系統。建造年度の幅、二十八年。所属符号の様式、七種類」とツクモが読み上げた。「艦隊、と呼称するには、統計が抵抗します」
「葬列に統計は要らない。並んでいればいい」
 点呼の途中で、コルベルの駆逐艦が増速し、旗艦の右舷に定位置を取った。就役三週間、艦名はまだ無い。
「名前のない艦で深部まで行く気か」とハルは訊いた。
「候補は三つあります」とコルベル大尉は答えた。「ですが、機関長が言うのです。艦の名前は港で付けるものではなく、戦から持ち帰るものだと。……《迎え火》の名は、まだ譲りません。次の艦がその名に値するかどうかは、深部で決めます」
「いい機関長だ」
「うちの操舵手の、飲み仲間でした」
 それ以上は、どちらも続けなかった。続けない作法も、葬列の一部だった。
 最初のゲートの手前で、連合の駆逐隊四隻が合流した。中央が体裁のために寄越した、塗装だけ新しい艦たちだった。隊司令の参加届の備考欄には、本隊ノ作戦行動ヲ妨ゲザル範囲ニ於テ、と保身の一行が几帳面に入っていた。ハルは備考欄ごと受理した。体裁で来た四隻でも、四隻分の砲は本物だ。死者の数を一人でも減らす砲なら、動機の欄は空欄で構わなかった。
 着任の通信で、隊司令は型どおりの挨拶を述べた。ハルは型を外して返した。
「率直に言う。貴官らは体裁で来た」
「……は。自覚しております」
「体裁を軽んじるな。葬式でいちばん大事なのは体裁だ。後方の補給段列を頼む。タンカーが沈めば、この葬列は香典ごと干上がる」
「拝命します」と隊司令は言った。型の中に、わずかに人間の声が混ざっていた。

 ゲート航行の三日間、ハルは演説をしなかった。
 代わりに、全艦回線で講義を二度やった。一度目は敵の話だった。
「敵は外縁回廊深部、常夜礁。崩壊した戦時ゲートの残骸と、大戦の骸が潮を組む重力デブリ帯だ。稼働、約百二十隻。こちらの戦闘艦は六十一。数で負けて、練度で負けて、統制で負ける。正面から噛み合えば、三日で磨り潰される。だから噛み合わない」
 二度目は、台所の話だった。
「還らず艦は補給が要らない、というのは港の迷信だ。あれも推進剤を喰い、部材を喰う。飢えるのが人間より遅いだけだ。《晦》の艦隊は七年、鹵獲と回収で台所を回してきた。台所には勝手口がある。俺たちはそこから入る」
 作戦は三段階、と彼は言った。第一段階、礁の外周を哨戒する外殻艦群、約四十隻の漸減。釣り出して、各個に削る。第二段階、礁の内側へ通じる唯一の可航水路の強奪。第三段階、《送り火》単艦による、《晦》との決戦。
「第三段階にあんたらは要らない、と言ってるんじゃない。第三段階まで艦隊が残っていることが、第三段階の成立条件だ。諸君に頼むのは勝つことじゃない。死なずに削ることだ。死なない艦が六十一隻並んでいる、という事実が、礁の中の百二十隻に対するいちばん重い砲になる」
 質問は今回も書式で受けた。四十一通来た。報酬の按分、サルベージ権の境界線、補償の請求先。大義についての質問は一通もなく、ハルはそれを良い兆候として帳簿に書いた。大義で来た艦隊は大義が折れた日に割れる。勘定で来た艦隊は、勘定が合う限り割れない。
 四十一通のうち、三通には自筆の追伸があった。一通は撃破証明の様式は誰が書くのかと訊き、一通は停止しただけの艦を撃つ規定の根拠を質し、最後の一通は、書式の余白に一行だけ、七年前にあんたの命令を待っていた側だ、とあった。差出人の欄は空欄だった。ハルは三通とも自分の字で返事を書いた。最後の一通への返事は、ひどく短くなった。——あの夜の分も、届けに行く。
 勝てるのか、と訊いた書式は、一通もなかった。勝ち負けを書く欄が申請書式にないことを、傭兵はみな知っている。
 ゲート航行の合間、ヨルは索敵席で艦隊の声を覚えていた。
 六十六隻の機関音と管制波の癖を、一隻ずつ、自分の帳面に書き取っていく。誰に命じられた仕事でもなかった。
「こっちの、こえも、おぼえる」と彼女は言った。「しずんだとき、どの、こえが、きえたか。わからないの、いや。なまえと、こえ、そろえて、おぼえて、おく」
 沈んだとき、と彼女は当たり前のように言った。沈まないように、という言葉がどの艦の書式にもないことを、この艦のいちばん幼い乗員が、いちばん正確に分かっていた。ナナオは横で点滴の在庫を数え直し、規定を一行だけ繰り返した。能力の使用は一日二回、各十分。守れる日が何日あるかは、数えなかった。
 夜、医務室でナナオが計時器の数字を読んだ。平均、一・四秒。出撃前と同じだった。
「進んどらん。……進んどらんことを、喜ぶ稼業になったわい」
「凪です」とツクモが言った。「凪は、保証ではありません」
「知っとるよ。三十年前から知っとる」
 計時器をしまう手つきのまま、老医は付け足した。
「言うとくがな、艦長。わしの鞄は、もう聴診器より工具のほうが多い。医者の道具で診られる患者が、この艦には半分しかおらん」
「半分で十分だ。残りの半分は、あんたの患者で、俺の艦だ」
「……欲張りな言い方を、いつ覚えたかの」

 最後のゲートをくぐったのは、第六一七日の夜だった。
 転送の白い光が薄れ、深部の暗さが艦橋の窓を満たす。星の少ない宙域だった。死んだゲートと死んだ艦の重なる礁は、まだ光学の届かない先にある。それでも、索敵席のヨルが、端子に手を当てたまま小さく息を止めた。
「どうした」
 彼女はすぐには答えなかった。十秒、耳を澄ませて、それから言った。
「……こえ。ひゃくにじゅう。いっせいに、こっちを、むいた」
 感知網には、まだ何も映っていない。それでも艦隊六十六隻の侵入は、礁の側にもう数えられている。七年待った者たちが、七年遅れて来た者たちの足音を、暗がりの底で聞いている。
「全艦へ」とハルは言った。「客が来たことは、もう知られた。予定どおりでいい。——葬式を始める」