セシルの現状について、断片的な情報が集まり始めたのは、マグダとの契約を交わしてから四日目のことだった。連邦領内に潜む残り火隊の伝手を通じて、少しずつ、しかし確実な情報がハイド・ステーションに届けられていった。四日という時間は、オルコットにとって、途方もなく長く感じられた。何もできずにただ待つことが、これほど神経を削るものだとは、彼はこれまで考えたこともなかった。

その間、《薄明》は表向き通常の哨戒任務に戻っていた。灰域周辺を巡回し、何事もないふりを続けながら、艦長室の奥では、まったく別の作戦が静かに組み立てられていた。

乗組員の中には、この不自然な静けさに気づき始めた者もいた。ダーナが度々艦長室に出入りし、マグダとの通信が頻繁に行われていることは、艦内でも噂になっていた。それでも、誰もオルコットに直接問い質すことはなかった。彼らなりの、指揮官への信頼の表し方だったのかもしれない。

連邦軍保安局は、セシルを正式に拘束するのではなく、自宅待機という名目のもとで軟禁状態に置いていた。証拠が固まりきっていないための処置だという。彼女の住居がある連邦領内の技術者居住区、その一角に、常時二名の監視要員が配置されているという情報だった。

オルコットは艦長室に置かれた簡易テーブルに、居住区の地図と、集められた情報の断片を広げていた。ダーナ、マグダ、そして残り火隊の潜入員が、狭い部屋に集まっている。空気は張り詰めていたが、誰の顔にも、確かな決意がにじんでいた。

テーブルの上には、居住区の航空写真を粗く印刷した紙も広げられていた。連邦の民間衛星から拾い集めた古い画像だという。灰色の集合住宅が整然と並び、その隙間を走る歩道には、生活の匂いを感じさせる洗濯物や自転車の影までが写り込んでいた。オルコットはその何気ない日常の光景を見つめながら、これから自分たちが踏み込もうとしている場所が、紛れもなく誰かの生活の場であることを、あらためて意識した。

「正式な拘置施設に入れられていないのは、まだ救いです」

情報を持ち帰った残り火隊の潜入員が報告した。若く見えるが、目つきには歴戦の落ち着きがある男だった。

「ただし、居住区全体が、特務班の管理下にあります。出入りする人間は全員、身元確認を受けます。検問所は居住区の主要な出入り口すべてに設置されていて、深夜でも稼働しています」

オルコットは居住区の地図を睨んだ。技術者向けの中規模な集合住宅群で、周囲は連邦軍の関連施設に囲まれている。正面からの強行突破は、まず不可能だった。地図上に記された建物の配置を目で追いながら、彼は頭の中でいくつもの侵入経路を組み立てては、その都度、実現不可能だと判断して却下していった。

「地下インフラは」

「あります。居住区全体の給排水・エネルギー供給網が、地下トンネルで結ばれています。旧式のメンテナンス通路が、いくつか使われないまま残っているようです。居住区が建設された当初の設計図によれば、少なくとも三系統の保守通路が今も物理的には存在しているはずです」

潜入員は手元の端末を操作し、地図上に細い線を描き出した。工業区画の廃棄されたメンテナンス口から、居住区の地下まで続く経路だった。

「ここまでの距離は、およそ二・三キロ。徒歩でおよそ四十分。ただし、老朽化した区間が多く、実際にはもっと時間がかかると見た方がいいでしょう。配管の腐食で、通路そのものが崩落している箇所もあると聞いています」

「実際に歩いた者は」

「私自身、先週、下見のために一度通っています。だからこそ、これだけの詳細がわかりました」

オルコットは、その潜入員の淡々とした口調の裏に、実際にどれほどの危険を冒してきたかを想像した。連邦領内の地下を単独で歩き回るということが、どれほどの度胸を要するか、彼自身、想像に難くなかった。

マグダが地図を覗き込んだ。彼女の指先が、線をなぞるように地図の上を動く。

「デルフォスと似たようなもんだね。地下から潜り込んで、目立たず抜け出す」

「ただし、今回は要塞ではなく、一般の居住区だ。民間人が生活している場所で、銃撃戦なんて起こしたくない」

オルコットは即座に釘を刺した。デルフォスでの強行策動は、要塞という限定された戦闘空間だったからこそ、正面からの武力行使も選択肢に入った。だが今回は違う。無関係な住民が巻き込まれる可能性のある場所で、同じやり方は選べない。

脳裏には、あの日目撃した実弾試験の光景が、ふとよぎった。巻き添えになった集落の住民たち。あの光景を二度と繰り返させないために、彼は今この場に立っている。皮肉なことに、その信念を守るためにこそ、今度は自分自身が、民間人を巻き込むリスクと向き合わなければならない立場にいた。

「そりゃそうだ。となると、力業じゃなく、静かなやり口が要る」

マグダは腕を組み、しばらく考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。

作戦は、力ずくの奪還ではなく、隠密裏の脱出支援という形を取ることになった。地下トンネルからセシルの住居に接触し、監視の目を掻い潜って居住区外へ連れ出す。

「監視要員、二名と言ったな。彼らを無力化する必要は」

オルコットが尋ねると、潜入員は少し考えてから答えた。

「殺さずに無力化する方法を考えます。眠らせる、拘束する、その程度に留めるべきでしょう。相手も職務を遂行しているだけの兵士です。命を奪う理由はありません」

オルコットは頷いた。この作戦の性質上、犠牲者を最小限に留めることは、単なる倫理の問題ではなく、戦略上の必要でもあった。連邦領内で死者を出せば、それこそ連邦側に、軍事侵攻という明確な口実を与えてしまう。

「監視要員の氏名や経歴は、わかっているのか」

「二名とも、連邦軍保安局の下級要員です。特別な戦闘訓練を受けたエリートというわけではありません。ただの任務として、この監視配置に就いているだけでしょう」

「――家族の有無は」

潜入員は一瞬、意外そうな顔をした。

「そこまでは、調べていません。必要ですか」

「いや」

オルコットは首を振った。だが、内心では、こうして名前も知らない兵士たちの人生の一端に、自分たちが土足で踏み込もうとしていることを、忘れないようにしたかった。眠らせるだけで済ませる、という判断は、決して当然の結果ではない。それは、彼らがこの作戦において守ろうとしている、数少ない一線だった。

「セシル自身の意思も、確認する必要がある。彼女が、本当に脱出を望んでいるのかどうか」

その言葉に、部屋の空気がわずかに緊張した。マグダも潜入員も、一瞬、顔を見合わせた。

「艦長、それはつまり」

ダーナが口を開きかけたが、オルコットはそれを手で制した。

「もし彼女が、連邦にとどまり続けることを望んでいたなら――この作戦そのものが、彼女の意思を無視した独りよがりになってしまう。俺たちは、彼女を救出するのではなく、連れ去るだけになる。それでは、彼女がこれまで払ってきた代償の意味を、俺たちが勝手に踏みにじることになる」

部屋にいた全員が、しばらく沈黙した。マグダが小さく口笛を吹くような仕草をしたが、音は出さなかった。

「――律儀だね、あんたも」

「律儀というより、最低限の筋だと思っている」

オルコットは地図の上に手を置いた。彼女の意思を無視してまで動くことは、この作戦の出発点そのものを裏切ることになる。それだけは、譲れなかった。

「まず、彼女に接触する。それが最初の一歩だ」

その言葉で、部屋の空気が一つの方向へと収束していった。潜入員が地図上の経路を指し示しながら、具体的な段取りを説明し始める。地下トンネルへの侵入時刻、巡回警備の間隔、居住区内での移動経路。細部が一つずつ、詰められていった。

「侵入は、深夜の巡回交代の隙を突く形になります。交代の直前は、警備が最も手薄になる時間帯です」

「時間の窓は」

「およそ十五分。それを過ぎれば、次の巡回が始まります」

オルコットは、その数字を頭に刻み込んだ。十五分。彼女の人生を左右する接触が、そのわずかな時間の中で行われることになる。長年の実戦経験の中で、彼はこうした短い時間の窓が、いかに脆く、また同時にいかに貴重であるかを知っていた。一秒の遅れが、すべてを台無しにすることもある。

「侵入予定日は」

「三日後の深夜を考えています。準備にはそれだけの時間が必要です」

「三日か」

オルコットは頭の中で、残された時間を数えた。短いようで、長い三日間になるだろうと、彼は予感していた。

「――マグダ、輸送手段の手配は」

「もう動いてる。民間輸送船に紛れ込む形で、あんたらを連邦領内まで運ぶ。あとは、脱出用の輸送艇を、工業区画側に待機させておくよ」

「頼む」

会議はさらに続いた。誰の声にも、緊張と、それでいてどこか静かな覚悟が滲んでいた。この部屋にいる誰もが、これから始まる作戦が、決して簡単なものではないことを理解していた。それでも、誰も後には引かなかった。

深夜近くになって、ようやく段取りの大枠が固まった。ダーナが記録用の端末を閉じ、潜入員が地図を丁寧に折りたたむ。マグダだけが、まだ何か考え込むような顔をしていた。

「艦長、一つ聞いていいかい」

「なんだ」

「もし彼女が、あんたらと来ることを拒んだら、どうする気だい」

その問いに、部屋が一瞬静まり返った。オルコットはしばらく黙り、それから静かに答えた。

「――そのときは、諦める。それが、彼女の選択であるなら」

マグダは何も言わず、ただ小さく頷いた。それ以上、誰もその話題には触れなかった。

(第35話へ続く)