軍拡競争が進む一方で、灰域周辺の緊張は日常的な小競り合いへと形を変えていった。そんな中、レティシアで再び武装勢力の活動が報告された。
その報告が届いたのは、《薄明》が境界防衛艦隊への編入を控え、通常の哨戒任務に戻っていた矢先だった。オルコットは、艦の定期補修計画を検討していた最中に、緊急通信を受け取った。
「今度は、前回よりも組織立っています」
ダーナの報告に、オルコットは緊張した。彼女の声には、前回の襲撃時とは明らかに違う硬さがあった。
「規模は」
「歩兵およそ200名、装甲車両8両。明らかに正規軍に近い装備です」
「連邦の正規部隊か」
「識別章は依然としてありませんが、装備の統一性から見て、単なる傭兵の域を超えています」
オルコットは、その数字を頭の中で反芻した。前回の襲撃時が十八名程度だったことを思えば、規模はおよそ十倍以上に膨れ上がっている。この短期間での増強ぶりに、彼は背筋が冷たくなるのを感じた。単なる示威行動ではない。これは、明確な意図を持った軍事行動に近づいている。
「装甲車両8両というのは、輸送で運び込んだということか」
「はい。灰域を隔てた向こう側から、複数回に分けて搬入されたものと思われます。衛星画像に、それらしい輸送船の航跡が残っていました」
ダーナの説明を聞きながら、オルコットは地図データを開いた。レティシアの発電施設周辺の地形が、立体映像として浮かび上がる。前回の戦闘の記憶がまだ生々しく残る場所に、今度はさらに大きな部隊が展開しようとしている。彼は、こみ上げる苛立ちを抑えながら、艦内に総員配置を告げる指示を出した。
オルコットは《薄明》とマグダの残り火隊を率い、再びレティシアへ急行した。マグダの部隊は、これまでも幾度か同盟軍の非公式作戦を支えてきた傭兵集団だったが、今回の相手の規模を聞かされた彼女は、無線越しに珍しく苦い声を漏らした。
「――200人相手か。こっちの頭数は」
「残り火隊とレティシア警備隊を合わせて、およそ80名だ」
「上等だな。数の不利は、地形と練度で埋めるしかない」
マグダの声には、それでも怯みは感じられなかった。オルコットは、彼女のその胆力に、ある種の安堵を覚えずにはいられなかった。
今度の戦闘は、前回よりもはるかに激しいものになった。地上に展開した武装勢力は、入植地の発電施設を占拠し、住民を人質に取って立てこもった。発電施設は、入植地全体の電力を賄う心臓部であり、そこを押さえられれば、住民の生活基盤そのものが人質に取られたことになる。
「――施設内に、民間人が推定300名」
現場からの報告に、オルコットは奥歯を噛みしめた。前回の比ではない人数だった。
「慎重に行くしかない。強行突破は最終手段だ」
オルコットは、マグダとともに交渉を試みた。無線越しに、施設内の武装勢力の指揮官らしき男の声が応答した。
『――交渉の余地はない。我々は、この施設を橋頭堡として維持する。手を出せば、人質がどうなるかは保証できない』
その声は落ち着き払っており、単なる寄せ集めの傭兵にしては、あまりに統制の取れた喋り方だった。オルコットは、その声の奥に、明確な指揮系統の存在を感じ取った。
「要求は何だ」
『――貴様らが答える立場にない』
素っ気ない拒絶とともに、通信は一方的に切られた。単なる報復行動というより、何らかの意図を持って現場に居座り続けることそのものが目的であるかのような、不気味な落ち着きがあった。
「――埒が明かない相手だ」
マグダが吐き捨てるように言った。
「わかっている。ただ、向こうがすぐに動く様子がないなら、部隊の展開を整える時間は稼げる」
オルコットは、交渉を装いながら、地上部隊の包囲網を静かに固めさせた。だが、しばらくすると、施設側から威嚇のための発砲が始まった。銃声が施設の外壁に反響し、オルコットは無線越しにその音を聞きながら、これ以上の交渉引き延ばしは危険だと判断した。
「――埒が明かない。突入する」
地上部隊が施設への突入を開始した。狭い施設内での近接戦闘は、これまでで最も苛烈なものになった。発電施設内部は、配管とタービンが入り組んだ複雑な構造で、視界は常に十メートル先すら見通せない状態だった。
「敵、頑強に抵抗しています!」
「人質の安全を最優先に。無理な前進はするな」
無線からは、断続的な銃声と、部隊員たちの短く鋭い掛け声が飛び交い続けた。第一波の突入部隊は、施設の東側から侵入を試みたが、狭い通路で待ち伏せに遭い、一時後退を余儀なくされた。閃光弾の炸裂音の後、悲鳴に近い呻き声が無線越しに漏れ聞こえてきた瞬間、オルコットは思わず拳を握りしめた。
「東側、負傷者二名。搬送します」
「後退させろ。無理に押すな」
マグダ自らが指揮する第二班が、西側の換気口から迂回し、施設内部の制御室へと肉薄した。狭いダクトを這うように進む部隊の呼吸音までが、無線を通じて艦橋に伝わってくるようだった。
「――マグダ、状況は」
「制御室まで、あと二十メートル。敵の抵抗が激しい。こっちにも負傷者が出てる」
「無理はするな。人質の位置は確認できているか」
「制御室の奥、機関室に固められている模様。数はおよそ三十人」
オルコットは、その数字を聞いて、思わず息を止めた。発電施設全体で人質推定300名という報告に対し、実際に武装勢力の目の届く場所に集められているのは、そのうちの一部に過ぎない。残りの人質がどこに分散しているのか、正確な位置は依然として不明のままだった。
「――他の人質の所在は」
「不明です。施設内に分散して隠れている可能性があります」
その報告に、オルコットは唇を噛んだ。制御室の奪還だけでは、事態は終わらない。施設全体を掌握するまで、気を抜くことはできなかった。
数時間にわたる攻防の末、施設は制圧された。制御室を奪還した後も、施設各所に潜んでいた武装勢力の残党との掃討戦が続き、戦闘の終結宣言が出たのは、突入開始からおよそ五時間が経過した頃だった。人質は全員無事に解放されたが、残り火隊にも複数の死傷者が出た。
「――全域制圧。人質、全員保護しました」
マグダの声には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
「怪我人は」
「うちの隊で、重傷が二人、軽傷が五人。詳しい名前は、後で報告する」
その報告に、オルコットは静かに目を閉じた。名前は、後で報告する――それは、単なる事務的な確認ではなく、名もなき数字として扱わないという、マグダなりの流儀でもあった。
制圧の瞬間、施設内から解放された住民たちが、疲労と安堵の入り混じった表情で外へ出てくる様子を、オルコットは降下艇の外部カメラ越しに見つめていた。子供を背負った老人、互いに支え合いながら歩く夫婦らしき二人――その一人一人の顔に、この数時間の恐怖の記憶が刻まれているのが見て取れた。だが、その安堵の裏側で、味方側にも決して軽くない代償が払われたことを、彼は忘れることができなかった。
制圧後の現場検証で、武装勢力の装備から、またしても連邦保安局との関連を示す痕跡が見つかった。押収された装甲車両の内部からは、連邦軍の制式規格に合致する通信機材や、支給品と思われる補給ログが発見された。
「――ヴィスか」
オルコットは苦々しく呟いた。押収した装備を検分する現場作業員たちの手つきを、彼はモニター越しにじっと見つめていた。
「今度は、明らかに正規軍に近い装備を与えている。彼は、自分の権限をどんどん拡大させているようだ」
ラスクへの報告書に、オルコットはこう記した。
『連邦保安局特務班による同盟領内への非正規侵攻行為、規模・頻度ともに増大。これは、単なる私怨の域を超え、連邦内部での既成事実化が進んでいる可能性がある』
灰域の均衡は、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。オルコットは、報告書を書き終えた後も、しばらくの間、レティシアの発電施設から立ち上る煙を、艦橋のモニター越しに眺め続けていた。煙は、風に流されながらも、なかなか消えることなく、地表に薄く漂い続けていた。次にこの入植地が標的になる時、果たして守り切れるのか。その確信を、彼はもう持てなくなっていた。
戦闘の後片付けが進む中、マグダがオルコットの元へやってきた。彼女の頬には、乾いた血の跡がうっすらと残っていた。
「――艦長さん、次はもっと大きいのが来るぞ」
「わかっている」
「うちの隊も、そろそろ限界だ。傭兵稼業とはいえ、これじゃまるっきり正規戦だ。装備の更新も、もっと本腰入れてもらわないと、割に合わなくなる」
マグダは、装甲服の肩当てを外しながら、疲れた息を吐いた。
「今回は、うちの若い連中の何人かが、初めて仲間を失った。これから先、あいつらがまともに戦い続けられるかどうかも、正直わからない」
マグダの物言いには皮肉が滲んでいたが、その奥には、確かな懸念の色があった。オルコットは、その言葉を軽く受け流すことができなかった。
「上には掛け合う。だが、即座に応えられる保証はできない」
「わかってるさ。あんたのせいじゃない」
マグダは、そう言って踵を返した。その背中には、いくつもの戦いを潜り抜けてきた者だけが持つ、独特の重みがあった。オルコットは、その背中を見送りながら、この均衡が保たれる時間が、確実に目減りしていることを、改めて実感していた。
(第48話へ続く)