セシルが、旧知の連邦軍関係者から得た伝手を通じて、決定的な情報を持ち帰った。
彼女がその情報を携えて作戦本部に現れたのは、レティシアでの弔いから一週間ほど経った頃だった。オルコットは、彼女の表情の硬さから、良い知らせではないことを、報告が始まる前から察していた。廊下ですれ違った瞬間、彼女はいつものように軽く会釈をしただけで、言葉を交わす間もなく会議室へと足早に向かっていった。その足取りの速さに、オルコットは彼女の抱える緊張の重さを感じ取った。
会議室に集まった顔ぶれは、これまでで最も多かった。ドーベル少将、ラスク、情報担当の士官たち、そしてアダムの姿もあった。誰もが、セシルの到着を待ちながら、資料に目を通すふりをして、実際には落ち着かない様子で時計を気にしていた。
「――保安局特務班が、正式に『参謀本部特務局』へと格上げされたそうです」
作戦本部に集まった一同の顔つきが、一斉に険しくなった。会議室の空気が、一瞬にして張り詰めるのを、オルコットは肌で感じた。
「格上げ、ということは」
ドーベル少将が確認するように尋ねた。
「マルコ・ヴィスの独断行為が、連邦上層部によって追認された、ということです。これまでの非正規作戦が、正式な国家機関の権限のもとで行われるようになる」
セシルの声には、隠しきれない緊張があった。彼女は、資料の一部を投影しながら、説明を続けた。
「特務局への格上げに伴い、予算規模はこれまでの三倍以上に拡大されると見られています。人員も、専属で二百名規模の増員が計画されているとのことです」
ラスクが眉根を寄せた。
「つまり、連邦は表向き我々を非難しながら、裏では同じ手口を国家の意思として採用した、というわけですか」
「その通りです。しかも――」
セシルは、さらに深刻な表情を見せた。
「自律無人艦の実戦配備計画も、当初の予定より前倒しされることが決まったそうです。理由は『同盟による軍事的脅威の増大』」
会議室に、重い沈黙が落ちた。オルコットは奥歯を噛みしめた。因果が、完全に逆転していた。連邦が最初に始めた開発計画への対抗として鍵を奪い、それが両国の軍拡を招き、その軍拡がさらに連邦の当初計画を加速させている。悪循環が、明確な形を持ち始めていた。
「――前倒しの規模は、どの程度だと」
オルコットが尋ねると、セシルは資料に目を落としながら答えた。
「当初の計画では、実戦配備は五年後を目安としていました。それが、今回の決定で二年から三年程度に短縮されるとのことです」
「二年か三年……」
オルコットは、その数字を頭の中で反芻した。想像していたよりも、はるかに短い猶予しか残されていない。鍵を鎮魂会に託した意味が、この加速の前でどこまで持ちこたえられるのか、彼は不安を覚えずにはいられなかった。
「予算の出所は、把握できているか」
情報担当の士官が尋ねると、セシルは頷いた。
「連邦議会の特別歳出枠から、複数年度にわたって計上される予定です。表向きは『辺境防衛技術研究費』という名目ですが、実質的な用途は自律核関連の開発加速に充てられるとのことです」
「隠蔽体質は、変わらないというわけか」
ラスクが、皮肉めいた口調で呟いた。
「連邦は、隠すことに関しては徹底しています。ですが、隠しきれない規模の予算が動けば、いずれどこかで綻びが出るはずです」
セシルの言葉には、かすかな期待も滲んでいた。だが、その期待がどれほど現実的なものか、オルコットにはまだ判断がつかなかった。
ドーベル少将が、重い声で言った。
「同盟としても、これに対抗せざるを得ない。議会はすでに、境界防衛艦隊の増強を可決している」
「――少将」
オルコットは思わず声を上げた。
「これは、もはや小競り合いの域を超えています。両国とも、後戻りできない一線に近づいている」
「わかっている」
少将の声には、隠しきれない苦渋があった。
「だが、今更、片方だけが軍備を止めるわけにはいかない。それは、自国を無防備に晒すことと同義だ」
会議室に、重い沈黙が落ちた。誰もが、この流れの先に何が待っているかを、うすうす予感していた。だが、誰もそれを止める手段を持たなかった。
「――増強の規模は、決まっているのですか」
オルコットが尋ねると、ドーベル少将は資料を捲りながら答えた。
「境界防衛艦隊に、フリゲート換算で十五隻を新たに追加配備する予定だ。加えて、灰域沿いの各入植地への駐留部隊も、倍増させる方向で調整が進んでいる」
「十五隻……」
オルコットは、その数字に、先日ダーナと交わした概算を思い出した。既に議会で可決された自律無人艦開発予算とは別枠で、この規模の増強が進められている。同盟の国庫が、それにどこまで耐えられるのか、彼には見当もつかなかった。
「財源は」
「増税だ。境界防衛特別税、という名目で、来期から徴収が始まる」
その言葉に、会議室の空気がさらに重くなった。国民の生活にまで、この対立の代償が直接及び始めている。オルコットは、その事実に、静かな怒りに似た感情を覚えずにはいられなかった。
オルコットは、会議室に集まった顔ぶれを、一人ずつ見渡した。ドーベル少将、ラスク、セシル、そしていつも冷静な情報担当の士官たち。誰もが、この状況の深刻さを理解しながらも、それを押し止める具体的な手立てを持ち合わせていない。その事実こそが、今の彼らを取り巻く状況の本質だった。
「――院長には、この情報を伝えるべきでしょうか」
アダムが静かに尋ねた。
「伝えてくれ」
オルコットは答えた。
「鎮魂会が、この流れの中でどんな立場を取るべきか。それを判断するのは、俺たちではない」
会議が終わった後も、オルコットはしばらくの間、会議室に一人残っていた。セシルが、心配そうな顔で戻ってきた。
「――大丈夫ですか」
「ああ。ただ、少し考えたいことがある」
「何を」
「あなたが持ち帰った情報の重さを、だ。あなたは、これを伝えるために、旧知の相手にどれだけのリスクを冒したんだ」
セシルは、少しの間、視線を逸らした。窓の外の光が、彼女の横顔に淡い陰影を落としていた。
「その方は、まだ連邦国内で技術職に就いています。私との接触が発覚すれば、彼自身の立場も危うくなります」
「それでも、伝えてくれたのか」
「彼自身も、今の連邦のやり方に、疑問を抱いているのだと思います。だからこそ、危険を承知で、情報を託してくれたのでしょう」
セシルは、少し間を置いてから答えた。
セシルは、しばらく間を置いてから、静かに答えた。
「――正直に言えば、小さくないリスクでした。ですが、伝える価値のある情報だと判断しました」
オルコットは、その言葉に、複雑な思いを抱いた。連邦にも、自国のやり方に疑問を持つ人間がいる。それは、彼にとってわずかな救いであると同時に、その人間が背負うことになるリスクの大きさを思うと、素直に喜べるものでもなかった。国家という枠組みの中で、個人の良心がどれほどの重みを持ちうるのか、彼はまだ、確かな答えを見出せずにいた。
オルコットは、しばらくの間、彼女の横顔を見つめていた。
「感謝する。だが、次からは、無理はしないでくれ」
「グレイ」
セシルは、真っ直ぐにオルコットを見つめた。
「私は、あなたに守られるためだけに、ここにいるわけではありません。この戦いに、私なりの形で関わり続けたいのです」
その言葉に、オルコットは何も返せなかった。ただ、彼女の覚悟の深さに、改めて頭を垂れる思いだった。
「――俺は、あなたが危険を冒すたびに、正直、気が気じゃない」
「それは、私もあなたに対して同じです。あなたが灰域へ出るたびに、私は無事を祈ることしかできません」
窓の外に浮かぶハイド・ステーションの照明が、二人の顔を淡く照らしていた。会議室の重苦しい空気とは対照的な、束の間の穏やかさがそこにはあった。
セシルは、小さく微笑んだ。それは、疲労の色を隠しきれない、それでも精一杯の微笑みだった。
「お互い様、ということにしませんか」
「――そうだな」
オルコットは、その言葉に、わずかに肩の力を抜いた。この重苦しい状況の中で、彼女とのこうした短いやり取りだけが、ささやかな安らぎになっていることを、彼は改めて自覚していた。
窓の外、ハイド・ステーションの軌道上には、増強される境界防衛艦隊の新造艦が、少しずつその数を増やしていた。オルコットは、その光景を見つめながら、数か月前まではまだ静かだったこの軌道上の風景が、これほど急速に姿を変えたことに、改めて驚きを覚えた。
艦へ戻る道すがら、オルコットはふと足を止め、ステーションの通路の窓越しに、遠く霞む灰域の方角を見やった。あの向こうに、鎮魂会の巡礼船が、今もひっそりと鍵を守り続けている。その事実だけが、この加速する悪循環の中で、唯一変わらずにあり続ける錨のようなものだった。
通路の照明が、規則正しい間隔で頭上を流れていくのを、オルコットはしばらく見上げ続けた。悪循環の歯車は、もう誰にも止められない速度で回り始めている。オルコットは、その事実を噛みしめながら、これから先に待ち受ける展開に、静かに身構えていた。
(第50話へ続く)