ハルシオン防衛旅団の指揮官、ノラ・ヴィータ大佐は、圧倒的な兵力差の中で、都市防衛線の維持に苦心していた。オルコットは、艦隊戦の合間、地上部隊への支援砲撃の指揮を任されていた。軌道上から見下ろす惑星の姿は、遠目には静かで美しかったが、その地表では、すでに苛烈な戦闘が繰り広げられていた。
軌道上からの視点は、いつもオルコットに奇妙な感覚を抱かせた。眼下に広がる大陸の輪郭は、地図で見るのと同じように穏やかで、戦火の気配など微塵も感じさせない。だが、モニターを拡大すれば、そこには炎と煙、そして逃げ惑う人々の姿がある。距離という要素が、これほどまでに現実の重みを覆い隠してしまうことに、彼は毎回、居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。
「艦長、防衛旅団より支援要請。都市外縁の防衛線が、突破されつつあります」
「座標を送れ。艦砲支援を行う」
《薄明》は、軌道上から地上の連邦軍部隊へ、精密な艦砲射撃を実施した。だが、民間人の避難が完了していない区画への支援は、慎重に制限せざるを得なかった。オルコットは、照準座標を一つひとつ確認しながら、誤射の可能性を極限まで排除する作業に神経をすり減らした。
「――くそ、この座標には、まだ避難民が残っている」
「別の座標から迂回できるルートは」
「時間がかかります。旅団は、そこまで持ちこたえられるか」
地上では、ヴィータ大佐率いる防衛旅団が、市街地の建物を利用した防衛戦を展開していた。連邦軍の重装歩兵と装甲車両に対し、旅団の対戦車装備は徐々に消耗していった。オルコットの元には、途切れることなく戦況報告が届き続けた。
「――第三小隊、壊滅!」
「第二防衛線まで後退!民間人の避難を最優先!」
ヴィータ大佐の指揮は的確だったが、兵力差はいかんともしがたかった。市街地の一角が、連邦軍の手に落ち始めていた。オルコットは、地上戦の報告を受け取るたび、拳を強く握りしめずにはいられなかった。
「――このままでは、防衛線が崩れる」
「艦長、増援まであと九時間です」
「九時間か。持たせなければならない」
オルコットは、決断した。境界防衛艦隊の艦砲支援だけでは、地上の兵力差そのものを埋めることはできない。もっと直接的な、人員による増援が必要だった。
「マグダ、残り火隊の地上戦闘要員を、防衛旅団への増援に回せるか」
通信の向こうから、マグダの声が返ってきた。彼女の声には、いつもの飄々とした調子の奥に、確かな決意が滲んでいた。
『もちろんだ。ハルシオンの連中を見捨てるわけにはいかない』
「傭兵契約の範囲を超える話だぞ。報酬の保証もできない」
『分かってる。それでも構わない。うちの流儀は、金だけで動くわけじゃない』
「――助かる。だが、無理はするな。お前たちの部隊にも、これ以上の犠牲は出したくない」
『そっちこそ、艦を大事にしろよ。艦長が死んだら、元も子もない』
軽口めいたやり取りの中にも、互いへの気遣いが滲んでいた。オルコットは、マグダという人物と、これまで幾度となく共に戦線を分かち合ってきた歳月の重みを、改めて感じた。彼女の部隊は、単なる契約に基づく傭兵集団ではなく、いつしか、鍵を巡る秘密を分かち合う仲間としての結びつきを持つようになっていた。
残り火隊の地上部隊が、民間輸送艇でハルシオンへの降下を開始した。傭兵という立場でありながら、彼らは自らの意志で、この防衛戦に加わることを選んだ。オルコットは、艦橋のモニターに映る、大気圏へと突入していく輸送艇の光を見つめながら、複雑な感慨を覚えた。
金銭で結ばれた関係が、いつしか、それを超えるものへと変わっていく。マグダと残り火隊が、これまでの共闘の中で見せてきた行動の数々が、その変化を物語っていた。オルコットは、彼らの選択に敬意を払いながらも、その先に待つかもしれない犠牲を思うと、素直に喜ぶことはできなかった。
「艦長、輸送艇の降下、成功。地上への着陸まで、あと二十分です」
「よし。ヴィータ大佐に伝えろ、増援が向かっていると」
ダーナの報告に、オルコットは短く応じた。窓の外、惑星の大気圏の縁が、夕暮れのようなオレンジ色に輝いていた。だが、それは自然の夕焼けではなく、地表で燃え上がる炎の照り返しだった。
「艦長、地上からの映像です」
技術士官の一人が、簡易的な偵察映像を艦橋のモニターに映し出した。瓦礫と化した街路、崩れた建物、慌ただしく避難する人々の姿が、断片的に映し出されていた。オルコットは、その光景に、三年前のケイオン第七集落の記憶を重ねずにはいられなかった。あのときは、ただ無力に見ているだけだった。だが今は、少なくとも支援砲撃という形で、地上の戦いに手を貸すことができる。それだけでも、三年前とは違う自分がいることを、彼は静かに確認した。
ヴィータ大佐からの通信が、断続的に届き始めた。砲撃音と怒号が混じる中、彼女の声は、それでも驚くほど冷静だった。
『艦長、支援砲撃、効果を確認した。第二防衛線の維持、なんとか持ちこたえられそうだ』
「そちらの被害状況は」
『負傷者が増えている。だが、まだ崩れてはいない。増援が来るまで、意地でも持たせる』
「残り火隊の地上部隊、あと十数分で到着する。それまで耐えてくれ」
『了解した。傭兵の助けを借りることになるとはな。まあ、贅沢は言えない』
ヴィータ大佐の声には、疲労の色が濃く滲みながらも、皮肉めいた乾いた響きが残っていた。オルコットは、その口調に、彼女の指揮官としての胆力を感じ取った。
通信が切れた後、オルコットは艦橋の各所からの報告を、次々と処理し続けた。艦隊戦の指揮と、地上部隊への支援砲撃の調整。二つの戦線を同時に把握し続けることは、これまでのどの任務よりも神経を消耗させた。だが、彼はその重圧を、むしろ引き受けるべきものとして受け止めていた。誰かがこの重さを背負わなければ、地上の人々も、艦隊の乗員たちも、守り切ることはできない。
「艦長、艦隊司令部より通達。境界防衛艦隊全体で、地上支援砲撃の割り当てを再編成するとのことです」
「――こちらの割り当ては」
「変更なしです。都市南部区画の支援を、引き続き担当します」
オルコットは頷き、ホロ図に表示された都市の地図に、改めて視線を落とした。南部区画には、まだ数千人の避難民が残っているという報告があった。彼らの避難経路を確保しながら、連邦軍の進撃を食い止める――その両立の難しさに、オルコットは奥歯を強く噛みしめた。
窓の外、惑星の縁が、次第に濃い夕闇に沈んでいく。だが、その夕闇の中でも、地表に灯る炎の光だけは、絶えることなく揺らめき続けていた。
セシルが、艦橋の隅から、静かにオルコットへ声をかけた。
「――グレイ、少し休んでください。この数時間、ずっと立ちっぱなしです」
「休んでいる暇はない」
「無理をしすぎれば、判断を誤ります。せめて数分でも」
オルコットは、彼女の言葉に、ようやく自分の足が、わずかに震えていることに気づいた。長時間の緊張が、思った以上に身体を消耗させていたらしい。彼は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「――すまない。少しだけ、座らせてもらう」
「それでいいんです」
セシルは、小さく微笑んで、通信卓へと戻っていった。オルコットは、椅子の背もたれに体を預けながら、目の前のホロ図を見つめ続けた。艦隊戦の推移、地上戦の進行、増援到着までの残り時間――すべての情報が、絶え間なく更新され続けていた。
数分後、ダーナが新たな報告を持ってきた。
「艦長、地上の残り火隊、無事にヴィータ大佐の部隊と合流したとの連絡です」
「――良かった」
オルコットは、その報告に、わずかに肩の力を抜いた。だが、安堵はほんの一瞬だった。戦闘は、まだ始まったばかりだった。増援到着までの九時間、いや、地上の増援を合わせても、まだ長い時間を耐え抜かなければならない。
「艦長、次の支援砲撃座標の確認をお願いします」
「見せてくれ」
オルコットは、再び身を起こし、目の前の任務へと意識を集中させた。休息はまだ許されない。だが、たとえわずかな時間でも、身体を休めることの大切さを、彼はセシルの言葉から改めて教えられていた。
提示された座標は、都市南部の工業区画に近い一角だった。連邦軍の装甲車両が集結しているとの報告がある一方、区画の外縁には、まだ避難が完了していない住宅地が隣接していた。オルコットは、地図上の距離を目算した。着弾誤差の許容範囲は、わずか数十メートル。艦の主砲の精度をもってしても、決して余裕のある数字ではなかった。
「――この座標なら、住宅地への影響は最小限に抑えられるはずだ。だが、誤差の範囲は厳密に守れ」
「了解しました。砲撃管制、慎重に行います」
砲雷長のレフが、緊張した声で応じた。オルコットは、画面に表示された着弾予測範囲を、もう一度だけ確認してから、静かに命じた。
「――撃て」
主砲の発射音が、艦全体を震わせた。数秒後、地表からの着弾確認の報告が届いた。
「命中。目標の装甲車両群、無力化を確認。周辺住宅地への被害報告はありません」
オルコットは、その報告に、短く息を吐いた。一つの座標、一回の砲撃。その一つひとつに、これほどまでの緊張を強いられる夜が、まだ何時間続くのか、彼には見当もつかなかった。だが、目の前の任務を、一つずつ確実にこなしていく以外に、今の彼にできることはなかった。
(第67話へ続く)