残り火隊の地上部隊が到着し、ハルシオン市街地の防衛線は、辛うじて持ちこたえ始めた。マグダ自らが、最前線で指揮を執っていた。オルコットは、艦橋のモニター越しに、断片的に届く地上映像を見つめながら、その戦況を追い続けていた。粒子の粗い映像の中でも、瓦礫の間を駆ける人影の動きだけは、はっきりと見て取ることができた。
「――ヴィータ大佐、うちの連中を右翼に回す。連邦の装甲車両、そっちから食い止めよう」
「感謝する。傭兵部隊がこれほど戦ってくれるとは、正直思っていなかった」
「金の切れ目が縁の切れ目、なんて言葉もあるけどね。今回ばかりは、そういう仕事じゃない」
マグダの声は、通信越しにも、いつもの飄々とした調子を崩していなかった。だが、その言葉の端々には、確かな覚悟が滲んでいた。オルコットは、艦橋でその通信を傍受しながら、彼女の言葉に静かに頷いた。
市街地の建物を利用した近接戦闘は、双方に大きな損害を与えていった。連邦軍の重装歩兵が、瓦礫と化した街路を進軍する。窓の破片、崩れたコンクリート、焼け焦げた車両――かつて人々の日常があった場所が、急速に戦場としての姿に変わっていった。
ヴィータ大佐の通信は、次第に間隔が短くなり、緊迫の度合いを増していった。
『艦長、右翼が押されている。残り火隊の増援、どこまで効いている?』
「マグダ、右翼の状況は」
『こっちも押し込まれてる。だが、まだ崩れちゃいない。あと十分、耐えれば、迂回してきた連邦の側面を突ける』
「十分か。持たせられるか」
『持たせる。うちの連中を舐めてもらっちゃ困る』
マグダの声には、余裕とも強がりともつかない響きがあった。オルコットは、艦橋から直接その戦況に手を出すことはできない。ただ、艦砲支援の座標を的確に選び、少しでも彼らの負担を軽くすることだけが、今の彼にできる唯一の貢献だった。
「レフ、南部区画への追加支援砲撃、座標を再計算しろ。連邦側面への牽制を優先する」
「了解しました。座標、送ります」
数分後、《薄明》の主砲が再び火を噴いた。着弾の報告とともに、マグダからの通信が入った。
『助かった。側面、崩せたぞ』
その報告に、艦橋にわずかな安堵が広がった。だが、まだ戦いは終わっていない。オルコットは、次の座標の確認へと、すぐに意識を切り替えた。
「――対戦車擲弾、残り少ないぞ!」
「節約しろ、本当に必要な時のためだ!」
避難が完了していない一角では、民間人の救出作業も並行して行われていた。旅団の一部隊が、砲火の中、住民の避難誘導にあたっていた。オルコットは、その報告の一つひとつに、胸が締め付けられる思いだった。
「――こっちだ、急いで!」
老人を背負った若い兵士が、瓦礫の間を駆け抜ける。その頭上を、流れ弾が掠めた。
「くそ、伏せろ!」
間一髪で難を逃れたものの、この種の危険が、市街地のいたるところで繰り返されていた。オルコットは、そうした個々の光景の報告を受け取るたび、艦橋の椅子の肘掛けを強く握りしめた。数字としての戦況報告の裏側に、こうした無数の生と死の瞬間が積み重なっていることを、彼は決して忘れることができなかった。
戦闘の合間、オルコットは、地上部隊から届く断片的な映像を確認していた。瓦礫の中を進む残り火隊の隊員たちの姿、旅団の兵士が負傷者を担架で運ぶ姿、そしてその合間を縫うように、住民たちが必死に避難していく姿。それぞれの映像は数秒に満たない短いものだったが、そこに映る一人ひとりの表情が、オルコットの記憶に深く刻まれていった。
「――艦長、南部区画からの避難、九割方完了したとの報告です」
「残り一割は」
「高齢者や、移動に支援が必要な住民が中心です。旅団の一部隊が、個別に対応しているとのことです」
「時間はかかるだろうが、一人も置き去りにするな、と伝えろ」
「了解しました」
その指示に、ダーナは短く頷き、通信卓へと戻っていった。オルコットは、窓の外に広がる惑星の姿を、改めて見つめた。地表のあちこちで揺らめく炎の光が、まるで無数の小さな灯火のように見えた。その一つひとつが、誰かの家であり、誰かの日常だったのだと思うと、彼の胸には、静かな怒りにも似た感情が込み上げてきた。
激しい攻防の末、日没までに、防衛線はどうにか維持された。だが、代償は小さくなかった。
「――被害報告」
ヴィータ大佐が、疲れた声で報告した。通信越しにも、彼女の疲労が伝わってくるようだった。
「防衛旅団、戦死者八十三名、負傷者二百名以上。残り火隊、戦死者十二名」
マグダは、しばらく無言だった。通信の向こうから、微かな息遣いだけが伝わってきた。
「――名前は、後で全部教えてくれ。うちの流儀でな」
「承知した」
オルコットは、その短いやり取りの中に、マグダなりの弔いの作法があることを、これまでの付き合いの中で知っていた。彼女は、部下を失うたびに、必ずその名前と最期の状況を記録し、部隊の全員でそれを共有する。契約に基づく傭兵団でありながら、そこには確かな絆があった。金銭だけで繋がる関係ではないと、彼女が口にした言葉の意味を、オルコットは改めて理解した。
オルコットは、艦橋でその報告を受け取り、静かに目を閉じた。三年前、彼が誓った「数字だけの犠牲者にしない」という約束が、また新たな重みを増していた。八十三人、十二人。その数字の一つひとつに、これから記録されるべき名前と、最期の状況がある。それを見届けるまで、この戦いは終わらない。彼は、瞼の裏に浮かぶ、まだ見ぬ顔たちの記録を、一つも取りこぼさないと、改めて自分自身に誓った。
窓の外、ハルシオンの夜景の一部が、戦火によって赤く染まっていた。オルコットは、その光景をしばらく見つめ続けた。かつて彼が寄港したときに見た、活気ある街の灯りとは、まったく違う色の光だった。
ダーナが、静かに艦橋に入ってきた。
「艦長、司令部より、現在の戦況の総括報告が届いています」
「読み上げてくれ」
「境界防衛艦隊、連邦艦隊の攻勢を、辛うじて防いでいます。ただし、被害は艦隊・地上ともに拡大しつつあります。増援到着まで、あと七時間」
「七時間、か」
オルコットは、その数字を胸に刻んだ。まだ半分にも満たない時間。だが、これまでの戦いで、彼らは着実に、その時間を稼ぎ続けてきた。
「――地上部隊への追加支援は」
「マグダの部隊、ヴィータ大佐の旅団と合流し、防衛線の再構築を進めています。次の攻勢に備え、休息を取っている段階です」
「分かった。彼らにも、少しでも休む時間を与えてやってくれ」
オルコットは、椅子に深く座り直し、これから続くであろう長い夜に備え、静かに呼吸を整えた。
しばらくして、セシルが、彼の隣に静かに腰を下ろした。
「――八十三人と、十二人ですか」
「ああ」
「私は、連邦の技術士官として教育を受けてきました。戦闘における損害は、常に効率と成果で語られるものだと。ですが、こうして実際に数字が読み上げられるのを聞くと、その教育がどれほど空虚なものだったか、痛感させられます」
オルコットは、彼女の言葉に頷いた。
「同盟軍でも、似たようなものだ。損害率、戦果比――どれも、戦術を検討するための必要な指標ではある。だが、それだけで終わらせてはいけない」
「グレイは、いつもそう考えていますね」
「三年前からだ。あの日を境に、俺は数字の裏側にあるものを、決して見過ごさないと決めた」
セシルは、しばらく黙り込んだ後、静かに言った。
「――今回の戦いが終わったら、ヴィータ大佐の旅団と、残り火隊の戦死者たちの名前を、私にも教えてください。連邦出身の私が、それを知る資格があるかどうかは分かりません。でも、知っておきたいんです」
「資格の話じゃない。誰であれ、知ろうとする者には、その名前を伝えるべきだと俺は思っている」
オルコットは、そう言って、彼女の肩にそっと手を置いた。窓の外では、依然として地上の炎が揺らめき続けていた。
やがて、ダーナが新たな報告を持ってきた。
「艦長、連邦艦隊、再編成の兆候があります。次の攻勢に向けて、陣形を整えているようです」
「――来るか」
「おそらく、数時間以内に。休息を取っている暇は、あまりなさそうです」
オルコットは、艦内の疲労状況を頭の中で計算した。乗員の多くは、すでに十時間以上、休みなく持ち場についている。人間の集中力には限界がある。だが、休息を取らせる余裕もまた、今の彼らには残されていなかった。地上のヴィータ大佐やマグダの部隊は、さらに過酷な状況に置かれているはずだった。艦橋という比較的安全な場所で指揮を執る自分が、疲労を口にするのは、いささか贅沢な悩みなのかもしれない、とオルコットは思った。それでも、乗員一人ひとりの限界を見極めることもまた、艦長としての責任の一つだった。
「――交代要員を、可能な限り回せ。全員を同時に酷使すれば、いずれミスが起きる」
「承知しました。当直表を再編成します」
ダーナが、そう応じて艦橋を出て行った。オルコットは、残された時間を思いながら、深く息を吐いた。
オルコットは、頷いて立ち上がった。まだ長い夜は続く。だが、この数時間の攻防で稼いだ時間は、決して無駄にはならない。増援到着まで、あと七時間。その間、彼らはまだ耐え抜かなければならなかった。
(第68話へ続く)