夜明け前、同盟本国からの増援艦隊が、ついにハルシオン軌道へ到着した。長い夜の攻防の末、艦橋の乗員たちの間には、疲労が色濃く漂っていた。だがその疲労の中に、待ちわびていた報告が飛び込んできた瞬間、艦橋の空気は一変した。誰もが、その一報を、祈るような気持ちで待ち続けていた。
「――増援、確認!戦艦二隻を含む、巡洋艦八隻、駆逐艦二十隻!」
艦橋に、安堵の声が広がった。これまで数的劣勢の中で耐え続けてきた乗員たちの表情に、初めて明るい色が差した。オルコットも、その報告に、こわばっていた肩の力が、わずかに緩むのを感じた。だが、まだ気を抜くことはできない。連邦艦隊は、依然として無視できない規模の戦力を維持していた。
オルデン提督の声が、艦隊全体に響いた。
「――これで、戦力差は埋まった。連邦艦隊に、反撃の時だ」
境界防衛艦隊と増援艦隊が合流し、連邦艦隊への本格的な反攻が始まった。艦隊戦は、これまでの防戦一方から一転、激しい撃ち合いへと発展した。オルコットは、これまで守りに徹してきた指揮を、一気に攻勢へと切り替える必要に迫られた。
「艦長、増援艦隊の指揮官より、統合作戦司令が届いています」
「読み上げてくれ」
「境界防衛艦隊は、増援艦隊の右翼を担当。連邦艦隊の後方連絡線を分断し、撤退経路を制限する動きに出るとのことです」
オルコットは、ホロ図に表示された新たな布陣を確認した。これまで防戦一方だった境界防衛艦隊が、ようやく攻勢に転じる番が回ってきた。だが、艦の損耗は激しく、《薄明》もまた、外殻損傷四十パーセントという状態のまま、この攻勢に加わらなければならなかった。
「――こちらの状態で、攻勢に参加できるか」
「主砲系統は正常です。ただし、機動性能は、通常時の七割程度に落ちています」
機関長のイズマからの報告に、オルコットは頷いた。
「七割で構わない。今は、少しでも敵の退路を塞ぐことが優先だ」
《薄明》は、損傷を抱えながらも、増援艦隊の一翼として、連邦艦隊の後方への牽制行動に加わった。オルコットは、艦の限界を見極めながら、慎重に、しかし着実に、指示を出し続けた。
「連邦戦艦、《ドミナンス》に集中砲火!」
「巡洋艦、側面から突入!」
《薄明》もまた、増援艦隊の一角として、連邦艦隊への攻勢に加わった。これまでの十数時間にわたる防戦で蓄積された損傷を抱えながらも、艦は最後の力を振り絞るように、砲撃を続けた。
数時間にわたる激戦の末、連邦艦隊は、明確な戦力差を悟り、撤退を選択した。
「連邦艦隊、後退開始!」
「深追いはするな。奴らを灰域の向こうへ押し返せば、それで十分だ」
オルデン提督の指示は、明快だった。勝利に驕ることなく、これ以上の犠牲を避けるための、冷静な判断だった。オルコットは、その指示に、深く同意した。
地上でも、連邦軍の侵攻部隊が、艦隊の後退に伴い撤収を始めた。ヴィータ大佐率いる防衛旅団と、マグダの残り火隊が、市街地を奪還していった。艦橋のモニターには、撤退していく連邦軍の装甲車両の隊列が、断片的に映し出されていた。
その映像を見つめながら、オルコットは、奇妙な虚しさを覚えた。これほどの犠牲を払って取り戻した市街地も、戦闘が始まる前とまったく同じ姿には、決して戻らない。焼け落ちた建物、破壊されたインフラ、そして何より、失われた命は、どれほど時間をかけても元には戻せない。勝利という言葉の軽さと、その裏にある重さのあまりの落差に、彼は改めて言葉を失った。
「――勝った、のか」
オルコットは、呟いた。だが、その声に喜びの色はなかった。艦橋には、疲労と安堵が入り混じった、奇妙な静けさが広がっていた。誰も歓声を上げなかった。誰もが、この十数時間の代償の大きさを、肌で理解していたからだった。
「勝ったと言えるかもしれません。ただ――」
ダーナが、被害報告を読み上げた。その声は、疲労のせいか、いつもよりわずかに掠れていた。
「同盟側、艦艇の撃沈・大破合わせて九隻。戦死者、艦隊・地上部隊合わせて推定六百名以上。民間人の犠牲者も、確認されているだけで百二十名」
連邦側の被害も、それに匹敵する規模だと推測された。ハルシオンという一つの惑星を守るために、数百人の命が失われた。オルコットは、その数字を胸に刻みながら、長い沈黙の中で、艦橋の空気を噛みしめた。数百人という総数の裏に、これから確認されていくであろう、一人ひとりの名前と最期があることを、彼は改めて思い起こした。
ダーナが、さらに詳細な内訳を続けた。
「艦艇の修理費用は、暫定見積もりで、合計およそ千二百万クレジット。民間施設への被害額は、まだ算定中ですが、少なくとも三百万クレジットを超えるかと」
「――金の話は、後回しでいい。今は、名前の確認を優先しろ」
「承知しました」
オルコットにとって、修理費用や被害総額といった数字は、いずれ処理しなければならない現実だった。だが、今この瞬間に優先すべきは、失われた命の一つひとつに、正確な記録を与えることだった。金額は、後からいくらでも計算し直せる。だが、名前を刻む機会は、一度きりしかない。
「――これが、勝利の代償か」
オルコットは、窓の外に広がる、戦火の跡が残るハルシオンの姿を見つめた。守り抜いたという達成感よりも、失われたものの重さの方が、はるかに大きく感じられた。地表には、まだ煙が立ち上る一角が見えた。かつて彼が寄港したときに見た、活気ある港湾区画の面影は、もはやどこにも見当たらなかった。
セシルが、静かに隣に立った。彼女の表情にも、深い疲労が刻まれていた。
「――これでもまだ、正式な宣戦布告には至っていません」
「ああ。だが、もう時間の問題だろう」
灰域を挟んだ両国は、もはや後戻りのできない一線を、完全に踏み越えていた。オルコットは、艦橋の椅子に深く座り込み、これまでの数十時間の緊張が、一気に肩から抜け落ちていくのを感じた。
セシルは、しばらくの間、無言で窓の外を見つめていた。オルコットは、彼女の横顔に、複雑な感情が浮かんでいるのを見て取った。
「――どうした」
「連邦の同胞が、この戦いで多く命を落としました。私は、彼らの死を悼む資格すら、もはや持たないのかもしれません」
「そんなことはない」
オルコットは、はっきりと言った。
「お前は、どちらの国家にも属さない立場で、それでも人の命を守ろうとしてきた。悼む資格があるかどうかは、国籍で決まるものじゃない」
セシルは、しばらく黙り込んだ後、小さく頷いた。
「――ありがとうございます、グレイ」
その声には、疲労の中にも、かすかな安堵が滲んでいた。オルコットは、彼女の肩に手を置きながら、窓の外に広がる、戦火の跡が残る惑星の姿を、もう一度見つめた。守り抜いた達成感と、失われたものへの喪失感が、複雑に絡み合ったまま、彼の胸に重く残り続けていた。
ダーナが、追加の報告を持ってきた。
「艦長、被害を受けた艦艇の乗員名簿の照合作業を、これから開始します。確認が取れ次第、順次報告します」
「頼む。一人も、名前のないままにはするな」
「承知しました」
オルコットは、窓の外を見つめ続けた。まだ、これから多くの名前が、記録簿に刻まれることになる。その一つひとつを、彼は見届けるつもりだった。それが、彼にできる、せめてもの弔いだった。
しばらくして、ヴィータ大佐から、地上の被害詳細についての追加報告が届いた。
「――防衛旅団の戦死者、正式な氏名確認は、まだ半数程度です。残りは、身元の照合作業に時間がかかっています」
「急がなくていい。正確を期してくれ」
「承知した。それと、艦長」
「なんだ」
「あなたの艦の支援砲撃がなければ、南部防衛線はもっと早く崩れていた。旅団を代表して、感謝を伝える」
オルコットは、その言葉に、素直に頷くことができなかった。感謝されるべきは、実際に地上で戦い、命を落とした者たちだった。彼はただ、遠く離れた軌道上から、限られた手段で支援しただけに過ぎない。
「――礼を言われる筋合いはない。むしろ、地上で戦ってくれた全員に、こちらから感謝したいくらいだ」
ヴィータ大佐は、通信越しに、小さく笑ったようだった。
「そういう物言いをする艦長は、珍しい。悪くない」
通信が切れた後、オルコットは、艦橋の椅子に深く座り込んだ。マグダからも、短い報告が届いていた。残り火隊の戦死者は、当初の報告通り十二名。負傷者は、その倍以上に上るという。
「――マグダの部隊にも、正式な弔慰金の手配を進めてくれ」
「艦長の裁量で決められる範囲を、超えているかもしれません」
ダーナが、慎重な口調で指摘した。
「なら、ドーベル少将に直談判する。今回、彼らがいなければ、防衛線は間違いなく崩れていた。傭兵だからという理由で、その働きが軽んじられることがあってはならない」
ダーナは、少し驚いたような表情を見せた後、小さく頷いた。
「――承知しました。少将への上申書、私の方でも準備します」
オルコットは、その返答に、静かに礼を言った。窓の外、夜明けの光が、ようやく惑星の縁からわずかに差し込み始めていた。長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
(第69話へ続く)