ヴィスによる暗殺・拉致計画の情報を受け、同盟軍はオルコットとセシルへの護衛態勢を強化した。ハイド・ステーションの通路には、これまで見慣れなかった武装の護衛班が、目立たぬよう、しかし確実に配置されるようになった。
「――正直、窮屈だ」
オルコットは、常時同行するようになった護衛班を横目に呟いた。艦長として、これまで単独で艦内外を動き回ることに慣れていた彼にとって、常に他人の視線と歩調に合わせなければならない生活は、思った以上に神経をすり減らすものだった。
「我慢してください、艦長。あなたを失うわけにはいきません」
ダーナが、真剣な顔で言った。彼女自身、護衛態勢の強化を指揮する立場にあり、その責任の重さを、表情の硬さがそのまま物語っていた。
「わかっている。文句を言うつもりはない。ただ、慣れないだけだ」
オルコットは、そう言いながらも、護衛班の若い兵士たちの緊張した顔を見るたびに、申し訳なさに似た感情を覚えた。自分の存在ひとつのために、これだけの人員が動員され、日常の自由を奪われている。それは、彼が兵士として最も避けたかった種類の負担だった。
セシルもまた、監視という名目から一転、保護という名目での常時警護が付くようになった。かつて彼女に付いていた監視要員と、今の護衛班とでは、役割の名目こそ違え、常に誰かの視線の中で生活するという点では変わりがなかった。
「――皮肉ですね」
セシルが小さく笑った。乾いた、それでいてどこか諦めに似た笑いだった。
「連邦では、私は監視される裏切り者でした。同盟でも、今は護衛される標的です。どちらにいても、自由に外を歩くことはできないんですね」
「すまない」
「謝らないでください。これは、あなたのせいじゃない」
オルコットは、それでも心のどこかで、自分がこの状況の一因であることを否定しきれなかった。彼女が同盟に亡命し、彼と関わりを深めたことが、彼女の生活を、これほどまでに不自由なものにしている。理屈では割り切れても、感情はそう簡単には整理がつかなかった。
数日後、その懸念は現実のものとなった。ハイド・ステーション内の民間区画で、セシルを狙ったと思われる襲撃事件が発生したのだ。時刻は昼過ぎ、彼女が資料室からの帰路、護衛班とともに移動している最中の出来事だった。
「――襲撃者、確保しました」
護衛班長が、緊迫した声で報告した。
「二名は現場で確保、一名は自決しました。装備から、連邦特務局の関与を示す痕跡が見つかっています」
セシルは、幸い無傷だった。だが、その事実は、これまで以上の緊張を作戦本部にもたらした。彼女が無事だったのは、護衛班の迅速な対応と、わずかな幸運の重なりに過ぎなかった。オルコットは、報告を受けた瞬間、自分の血の気が引くのを感じた。艦隊戦での被弾報告には慣れていたはずの彼が、たった一人の名前の安否に、これほど動揺するとは思っていなかった。
「――ハイド・ステーション内部にまで、暗殺者を送り込んでくるとは」
ドーベル少将が、険しい表情で言った。
「これは、もはや看過できない。正式に連邦へ抗議すべきだ」
「抗議したところで、連邦は否定するでしょう。ヴィスの独断だと言い張るはずです」
オルコットは、静かに、しかし固い決意を込めて言った。
「――セシルを、より安全な場所へ移すべきです。ハイド・ステーションでは、もう守りきれない」
「移送先の当ては」
「――《薄明》だ。俺の艦なら、俺の目が届く」
その提案に、少将は少し驚いた様子を見せたが、やがて頷いた。ステーションという開かれた場所に比べ、艦という閉じた空間であれば、出入りする者を厳密に管理できる。何より、乗員たちの信頼が厚い《薄明》であれば、内部からの裏切りの余地も少ない。
「――よかろう。ただし、任務中は艦長としての職務を最優先にしろ」
「承知しています」
こうして、セシルは正式に《薄明》へ乗艦することになった。移送の手続きは、極秘裏に、最小限の人員だけで進められた。輸送艇にはハイド・ステーションの通常便を装った偽装が施され、彼女の私物も、目立たぬ木箱に分けて運び込まれた。護衛班長は、移送中も終始無言のまま周囲を警戒し続け、その緊張した空気が、事態の深刻さを何よりも雄弁に物語っていた。
移送の途中、セシルは一度だけ、ステーションの窓越しに見える灰域の光を振り返った。
「――ここに来てから、まだそれほど長くはないのに、何度も居場所を変えることになりますね」
「悪いと思っている」
「いいえ。むしろ、私は幸運な方です。多くの人は、居場所を変える機会すら与えられずに、消えていくのですから」
その言葉の背後に、彼女が連邦で見てきた同僚たちの顔があるのだろうと、オルコットは思った。粛清の対象になった技術者たちの多くは、恐らく、彼女のように逃げる道を用意されることさえなかった。オルコットは、その日の夜、彼女の私物が運び込まれる艦内の一室を見つめながら、これまでとは違う種類の責任の重さを感じていた。艦長として乗員の命を預かることには慣れていた。だが、これから、彼女の命もまた、この艦という枠組みの中で、自分が守り抜かねばならないものになる。
「――ここが、これからのあなたの部屋だ」
オルコットが案内すると、セシルは、狭い居室を見回し、小さく笑った。
「――思ったより、質素なんですね」
「軍艦だ。豪華さは期待しないでくれ」
「いいえ、むしろ安心します。飾り立てられた場所よりも、こういう場所の方が、私には落ち着けるようです」
その言葉に、オルコットは、彼女がようやく、自分の居場所と呼べる場所を見つけつつあるのかもしれない、と思った。窓の外には、灰域の淡い光が、いつもと変わらぬ静けさで広がっていた。だが、この静けさが、これから先も続く保証は、どこにもなかった。
翌日、艦内では、セシルの乗艦を巡って、乗員たちの間にささやかな動揺が広がっていた。オルコットは、そのことをレフから聞かされた。
「――艦長、正直に言わせてもらいますが、連邦の技術士官が艦に常駐するというのは、下士官の間では、まだ抵抗感があります」
「無理もない。三年前まで、あの艦籍章を見れば警戒するのが当然だった」
「それでも、艦長が決めたことです。俺たちは従います。ただ、時間はかかるでしょう」
オルコットは、その率直さに、むしろ安堵を覚えた。表面上の追従よりも、こうした本音の方が、後々の摩擦を避ける上で有益だった。
「――時間がかかっても構わない。ただ、彼女を、単なる『連邦人』としてではなく、この艦の技術顧問として見てほしい。それだけは、頼む」
レフは、しばらく黙った後、小さく頷いた。
「――わかりました。まあ、砲雷管制の腕を見せてもらえれば、こっちの態度も変わるかもしれません」
「腕は確かだ。保証する」
その夜、オルコットは艦橋で一人、警備配置の見直し案に目を通していた。護衛班の増強、艦内の立入区画の再編、通信の暗号化強化――どれも、これまでの哨戒任務では必要とされなかった措置ばかりだった。艦を守ることと、艦に乗る一人の人間を守ることの間には、微妙だが確かな違いがある。彼はそのことを、今更ながらに痛感していた。
窓の外、灰域の暗闇の向こうに、係留中の他艦の灯りが、点々と瞬いていた。オルコットは、その灯りを見つめながら、ふと、ダブレやトマ、カロンといった、これまで失われてきた乗員たちの名前を思い出した。彼らの死は、艦という組織の中で起きたものだった。もし今、セシルの身に何かが起きれば、それは彼個人の判断の結果として、彼自身の中に刻まれることになる。その重さの違いを、彼は初めて明確に自覚した。
「――守り抜く。それだけだ」
彼は、誰に言うともなく、静かにそう呟いた。艦という鋼鉄の箱の中で、灰域を漂う小さな灯りのひとつとして、《薄明》は、これまでとは違う種類の航海を始めようとしていた。
数日後、襲撃事件の詳細な調査報告が上がってきた。確保された二名の襲撃者は、いずれも連邦特務局の下部組織に所属する工作員で、正規の軍属ではなく、非公式な契約要員として雇われていたことが判明した。自決した一名の身元は、最後まで割り出せなかった。
「――身元不明のまま、か」
オルコットが報告書を読み終えると、ダーナが硬い声で付け加えた。
「はい。ですが、装備の刻印から、少なくとも連邦特務局が関与したことはほぼ確実です。ヴィスが直接命じたのか、あるいは部下の暴走なのかは、まだわかりません」
「――どちらでも、結果は同じだ。誰かが、俺たちを殺そうとした。その事実だけで十分だ」
オルコットは、報告書を閉じた。名前の残らない襲撃者たちのことを、彼はそれでも、心のどこかで記憶しておこうと思った。名もなき者として処理される死者が、これ以上増えることを、彼は望んでいなかった。たとえ敵であっても、誰かの命が失われたという事実を、軽く扱うつもりはなかった。
その夜、艦橋の灯りを落とした後、オルコットはセシルとともに、束の間の静かな時間を過ごした。窓の外に広がる灰域の暗闇は、いつもと変わらぬ表情をしていたが、その奥に潜む脅威の質は、確実に変わりつつあった。かつては艦隊同士の睨み合いという、まだ顔の見える戦いだった。だが今、そこに忍び寄るのは、姿を見せぬまま牙を研ぐ、もっと個人的で、もっと陰湿な種類の暴力だった。オルコットは、そのことを、これから幾度も思い知らされることになる。
(第73話へ続く)