第079話 引き渡し

 撃破の後を書く仕事が、今回はいつもの何倍もあった。死んだ艦は一隻もいないのに。

 ガズ・ヒバスの引き渡しは、テネブラエ分署の搬入口で、夜のうちに行われた。
 報道はいない。野次馬もいない。カンプはそれを「偶発的戦果」の書類で包んだ——合同訓練中の保安部隊が、海賊の襲撃に行き会い、自衛の結果、頭目以下を拘束した。傭兵の名は、書類のどこにも主役では載らない。
「公式には、そういうことだ」と分署長は言った。「お前の名で挙げれば、中央は傭兵の手柄に予算の言い訳を探す。うちの名で挙げれば、外縁の保安予算が一行増える。どっちが回廊のためかは、算数だ」
「構わない」
「だろうな。……それと、これは礼じゃなく業務連絡だが」カンプは決裁端末から目を上げずに言った。「ガズ・ヒバスは取調べの初日に、全部喋った。組織の構成、資産、分派の所在——全部だ。条件は一つだけ。『若年構成員の訴追免除』。自分の刑が重くなる方向の取引を、あんなに楽しそうにやる被疑者を、俺は初めて見た」
 緋蓮団は、解体された。
 構成員三百八十名。戦犯訴追十四名、海賊行為での起訴が約六十名。残る三百余——大半が二十代以下の若年層は、順次釈放される。釈放、という言葉の先に何があるかの数字を、誰も持っていなかった。職のない港に、また三百人が降りる。七年前の繰り返しだった。繰り返しにしないための受け皿を、紙の上で持っている者は、まだいなかった。

 精算は、三日かけて終わった。
 ハルは帳簿に全部を並べた。収入の列——護衛料二か月分の手取り二千四十万。LM-313とDE-09の賞金、手取り計二千四十万。骨市のサルベージ権売却六百万、引き渡し報奨二百万。
 支出の列——中枢杭二本六百万。第三区画の火災と左舷の修理八百二十万。二か月分の給与と保険と港湾費。商会経由で《カリナ》の十七名と保安部員一名の遺族へ送った見舞金——商会は断った。規定の弔慰は商会が払う、傭兵が払えば筋が乱れる、とウェンディゴは言った。ハルは名目を変えて、ギルドの遺族基金に同額を入れた。基金の受付はミミナで、彼女は振込元の欄を見て、何も言わずに処理した。
 残高、約四千三十万cr。
 傭兵を始めて九か月。帳簿は過去最高の数字を示し、その数字がどの死者の上に立っているかの内訳を、帳簿は語らなかった。語らせないために帳簿という様式はあるのだと、ハルは思った。だから彼は、自分の方の帳簿を開いた。
 撃破数、九。
 その隣の頁に、今期の「還らない数字」が並んだ。テッサの餓死・栄養失調死、封鎖七十日間の公式発表で八十六名——うち三十一名が子供。分派の襲撃で死んだ輸送船員、十一名。《カリナ》の十七名と保安部員一名。緋蓮団側の戦死、四十三名。
 八十六。十一。十八。四十三。
 どの数字も、彼が撃った弾では死んでいない。どの数字も、彼の立てた線の上で死んだ。帳簿のこの頁だけ、夜が更けても乾かなかった。

 ギルドからの昇級通知は、精算の最終日に届いた。
 第三級。緋蓮団解体の功、護衛実績、撃破実績。等級章の樹脂は、また少しだけ濃い灰色になった。ミミナは判を押しながら、規則どおり「おめでとうとは言わない」と言い、規則の外で一言だけ足した。
「線、引かずに済んだわね。あんたのとこの誰にも」
「……ああ」
「それが今期の、一番いい数字よ。帳簿には載らないけど」

 精算の翌日、ハルはロー商会の支所で、契約更新の書類とは別の話を一つ持ち出した。
「緋蓮団の釈放者が、これから三百人、港に降りる。大半が二十代以下で、艦の経験がある。……商会は人手不足だと聞いた」
 ウェンディゴは書類から目を上げた。
「海賊あがりを雇え、と?」
「兵隊あがりを、だ。海賊になる前の連中に戻る道があれば、次の緋蓮団は生まれない。生まれなければ、次の封鎖もない。保険料率と護衛費の十年分を、求人のビラ一枚と比べてくれ」
 商隊長は三秒だけ計算し、決裁端末に短い指示を打った。
「人事部に回す。条件は一つ——『同盟出身者の応募可』を、一番大きな字で刷ること。小さく刷る求人は、読む側が信じない」
 飢えさせ方を知っている人間は、食わせ方の設計図も読めるのだった。

 テッサからは、荷と一緒に、通信が一通届いていた。
 港湾の女性職員——三日分のパンの算数を一緒にやった、あの台帳の職員からだった。文面は事務的で、短かった。配給制、本日付で解除。次回入港時、港湾使用料の請求書と一緒に、礼を言う列ができると思われるので、覚悟されたし。
 礼を受け取る手順を、ハルは相変わらず持っていなかった。持っていないまま、その通信を消去せずに保存した。保存の癖は、艦から伝染ったのかもしれなかった。

 テッサには、定期航路が戻った。
 食料相場は平時の一・四倍まで下がり、配給制は段階的に解除へ向かい、港の荷揚げ機は全部が電源を入れた。ウェンディゴ・ローは赤字航路の決算書に「将来航路収益の先行投資」と書き続け、役員会はもう照会を送ってこなかった。封鎖の終わった港の最初の大口契約を、商会が総取りしたからだ。飢えた港は二度と客に戻らない——あの言葉の後半を、彼女は誰にも言っていなかった。救った港は、一生の客になる。商人の言葉は、いつも半分だけが表に出る。

 その夜、港の酒場で、ヴェインは一杯だけ呑んだ。
 ハルとナナオが同じ卓にいた。誰も乾杯とは言わなかった。一杯目が空いて、給仕が二杯目を訊きに来た。
 ヴェインは、グラスを伏せた。
「……要らん。今日は、これでいい」
 七年間、酒で蓋をしてきた男が、蓋の要らない夜を一つ、手に入れた。それだけのことだった。それだけのことが、この数か月の帳簿で、たぶん一番の黒字だった。