第143話 解体廠の火

 第七星系に降りた送り火隊が最初に見たのは、燃えるアルマ解体廠だった。
 だが、予想していた光景とは違った。
 解体廠は星系外縁の岩塊に組まれた巨大な係留場で、数百隻分の艦の骸が、処分待ちの列のまま桟に並んでいる。その列のあちこちで火災光が瞬き、与圧区画の破口から空気が白く噴いていた。攻撃の開始から、もう八日。火はもう戦闘の火ではなく、後始末の追いつかない火だった。回収する側は、急がず、休まず、八日かけてまだ作業の半ばだった。そして、その骸の列のあいだを、死者の艦隊が動いていた。
 およそ四十隻。
 彼らは撃っていなかった。曳いていた。
 解体待ちだった僚艦の残骸に曳航索を掛け、桟から一隻ずつ引き出していく。保管庫の外壁は外科手術のように正確に切開され、摘出済みの中枢区画が、貨物のように整然と運び出されていく。退避勧告に従って離れていく作業員の艇には、一隻も手を出さない。針路が交差しそうになると、向こうが避けた。
「……回収だ」とハルは言った。「あれは襲撃じゃない。回収作業だ」
「はい」とツクモが言った。「同胞の骸の、回収です。切開の手順、搬出の順序、曳航の組み方。いずれも淀みがありません。計画は数年単位で準備されています。彼らはこの日のために、解体廠の構造を学習し続けていたのです」
「司令、これは——」回線の向こうで、コルベルが言葉を探していた。彼女の感知網にも同じものが映っている。「報告書に、何と書けばいいのでしょう。交戦中、と書くには、誰も撃っていません」
「見たままを書け。それがうちの流儀だ」
「見たまま、ですか。……無人艦の艦隊が、解体場から、解体された無人艦を運び出している。誰がこれを信じますか」
「信じなくても起きてる。起きてることを書くのが報告書だ」
 解体廠の管制塔とは、降下の三十分前に回線が繋がっていた。応答した管制官の声を、ハルは知っていた。テネブラエの分署で聞いた声だ。第三保管庫の班が応答しない、と三時間繰り返していた声。いまは退避の調整だけを、磨り減った事務の抑揚で続けている。
「援軍か、と訊いていいのか」
「三隻だ。撃ち合う数じゃない。退避を続けろ。こっちは時間を作る側に回る」
「……三隻」管制官は短く笑った。笑いのつもりの音だった。「最短九日と言った正規艦隊は、動員の都合とやらで、まだゲートのこちら側に一隻も入っとらん。八日後に九十隻来るより、今日の三隻だ。歓迎する。第三保管庫の班は、もういい。昨日、与圧の数字が零になった。いまは生きてる区画の話だけをしてる」
 もういい、という言葉の値段を、回線のこちら側の全員が知っていた。誰も値切らなかった。
 ただし、死者は出ていた。解体廠の暫定集計はすでに八十名を超えている。退避勧告が届かなかった区画の者。届いても、機材を置いて逃げられなかった者。職分どおりに立ち塞がって、四秒で沈められた警備艇の乗員。管制塔の通信士は泣きながら数字を読み上げ、読み上げる声は事務の抑揚を保っていた。死者の艦隊は虐殺をしない。だが、計算の項目に入らない死を、防ぎもしない。
 《燈籠》のガロは、会敵からずっと無言で波形を録り続けていた。四十隻分の機関波形と管制波。録りながら、一波形ずつ、七年前の記憶の喉と照合している。やがて短い報告だけが来た。
「……該当なし。ここまでは、だ」
 該当なし、という言葉の含む安堵と落胆の割合を、誰も訊かなかった。

「司令、九時方向」コルベルの声が硬くなった。「群れから一隻、離れます。小型——退避艇の群列に向かって、撃ち始めました」
 戦術図の隅で、小さな火点が瞬いた。全長七十メートル級の小型個体。動きが、他の四十隻と違う。隊列の拍子に乗っておらず、針路が痙攣するように揺れている。
「ヨル」
「……あの艦、こわれてる」索敵席の声は、聴音の端子を押さえたままだった。「みかたの、しきべつが、こわれてる。ぜんぶ、てきに、みえてる。むれのこえと、あってない。——むれは、あの艦に、こたえてない」
「庇わないのか。仲間だろう」
「仲間という分類は、おそらく不正確です」とツクモが言った。「観測する限り、群れの管制波はあの個体を呼んでいません。とうに、切り捨てられています。壊れた個体は群れの計算を狂わせる。私が指揮個体でも、同じ判断をします」
 退避艇の群列は四隻。武装はなく、足も遅い。最初の一連射が、最後尾の艇の推進部を掠めた。
「ヴェイン」
「——もらってる」
 返事より先に、艦は動いていた。《送り火》は解体廠の係留桁の影から影へ、灯を消したまま滑り込んでいく。撃ち合えば負ける艦の、いつもの忍び足。ただし今夜は、急ぎ足の忍び足だった。
「《迎え火》《燈籠》は退避艇の針路を割れ。撃つな、引きつけるな、ただ盾の位置だけ取れ」
「了解。……撃たずに、盾だけですか」
「お前の艦の装甲じゃ、撃ち合いは三十秒持たない。盾は、持つ。位置さえ正しければな」
 小型個体の二連射目が、退避艇の一隻を直撃した。火球は小さく、短かった。十一人乗りの作業艇の終わりとしては、あまりにも小さく、短かった。残る三隻が散り、《迎え火》がその散り際を艦体で覆った。
 三連射目は、来なかった。
「距離一千四百。中枢区画、直上」とツクモ。「杭、一番管、装填済み」
「発射」
 中枢杭が、七年ものあいだ敵味方の区別を失っていた小さな艦の、小さな中枢を物理で終わらせた。火点が消え、痙攣していた針路が、ただの慣性になった。
 撃破、二十七隻目。
 残りの退避艇三隻は、減速もせずに泊地へ逃げ込んでいった。礼はなかった。それでよかった。救えたのが三隻で、救えなかったのが一隻。その差は、賞金にも戦果報告にも載らない種類の数字だった。
 一時間後、管制塔から十一人分の名前が送られてきた。沈んだ作業艇の乗員名簿だった。頼んでもいないのに、管制官は名前を寄越した。数字で報告すると、数字のまま忘れられることを、あの男も知っているのだった。ハルは名簿を受理し、帳簿の頁の隅に、十一、と書き、その横に名簿の保管番号を添えた。帳簿の表は、四千十二、引く、二十七、になった。引き算の側が一つ進むたびに、足し算の側も進む。七年間、一度も逆になったことのない算術だった。

 撃破の後の仕事は、戦場の真ん中でも省略しなかった。
 移乗班は出せないため、ツクモが残骸の中枢メモリへ細い回線を通し、最終ログを吸い上げる。旧連合の港湾防備砲艇。艦籍符号は度重なる被弾で焼け、判読できない。最後の命令は七年前のまま——泊地ヲ防衛セヨ。守るべき泊地はとうに放棄され、識別系が壊れた砲艇には、宇宙の全部が泊地への侵入者に見えていた。七年分の交戦記録が、几帳面に並んでいた。撃った相手の大半は、岩とデブリだった。岩を撃ち、デブリを撃ち、ときどき、岩でもデブリでもないものを撃った。
 ログの末尾近くに、異質な一行があった。四十日前の受信記録。死者の艦隊の集結命令と、その直後に上書きされた符牒。
 ——射撃統制、共有不可。隔離。
「ミソカは、こいつを拾って、それから切ったのか」
「拾い、検査し、隔離した、が正確です」とツクモが言った。「群れに入れれば味方を撃つ。放置すれば人間を撃ち、群れ全体への討伐根拠になる。隔離は合理的です。……治す、という選択肢は、彼女の手札にもなかったようです」
 保存します、と声は続けた。百四十二件目。消去を推奨されますか、という定例の問いは、今夜は来なかった。
 ハルは戦術図に向き直った。四十隻の回収作業は、こちらの小さな猟など何事もなかったかのように続いている。曳航される骸の列が、解体廠の炎を背に、ゆっくりと外縁の闇のほうへ伸びていく。
 その列の奥だった。
 保管庫の照明の逆光の中に、ひときわ大きな輪郭が浮かんでいた。全長六百メートル級。骸ではない。骸の列を従えて、静かに泊まっている。
 索敵席で、ヨルが息を呑む音がした。計器より先に、彼女の耳が答えを出していた。
「——《晦》」
 四十隻の歌の、いちばん下で鳴り続けている静かな拍子。シネレオの宙域で一度だけ遠く聴いた、ツクモの声と同じかたちの、違う声。それが今、光学の距離にいた。彼女の両手が、膝の上の帳面を強く掴んでいた。掴んだ理由を、本人もまだ言葉にできていなかった。
 夜の母艦が、そこにいた。