第162話 手配書
発令は、第五五三日の朝の定時通信で来た。
星系連合辺境布告、第八〇四号。アマノ・ハル、三十一歳。禁制自律中枢——TYPE-9系——の所持および運用。艦籍偽装。軍機漏洩容疑。逮捕協力賞金、三千万クレジット。
ハルは艦長席で布告文を三度読んだ。一度目は中身を、二度目は書式を、三度目は別添の根拠資料の一覧を。一覧の二行目に、見覚えのない、しかし出所のわかりすぎる表題があった。辺境保安機構テネブラエ分署検査課、技術所見。当該艦の応答系に民生規格を超える処理特性を認む。日付は一年半前。
一年半、どこかの引き出しで眠っていた紙だ。港じゅうが薄々知っていて、誰の帳簿の上でも問題にならなかった事実が、一枚の紙の体裁を取り直して、一夜で罪に変わっていた。先週の監査で分署の関係記録は一括提出を命じられたと、カンプの分署の掲示には出ていた。引き出しを守る権限は、分署長にはない。引き出しごと取り上げる権限が、特務局にはある。
「読み上げます」とツクモが言った。「同時発令が三件。特務戦隊送り火隊、解散。特例運用許可第〇〇七号、取り消し。私掠免状第〇一一号、効力停止。……艦長名義の口座は、凍結されました。残高八千五百三万クレジットは、現時点をもって紙の数字です」
「手元は」
「艦内金庫の無記名決済票で、約一千万。中枢杭の闇市調達用に積んであった現金種です。杭の在庫が零のまま現金だけ残ったことが、初めて帳簿に貢献しました」
軍機漏洩、の四文字だけが他と質が違った。所持も偽装も事実だ。漏洩だけは、容疑、と尻に付く。事実の塊に泥を一匙混ぜるのは、後で全部を泥に見せるための、古い書式の知恵だった。
食堂に降りると、ナナオとヨルが端末の前にいた。布告は民間の報知網にも流れ、手配書の画像が、港の朝の値段表と並んで表示されていた。写真は嘱託任命時の記録写真だった。月給八百万の机を約束された日の顔が、三千万の値札の上に載っている。
「似とらん写真じゃの」とナナオが言った。「実物のほうが、人相が悪い」
「ハルは」とヨルが画面を指した。「わるいこと、した?」
「した」とハルは言った。誤魔化す相手を選ぶ段階は、この艦ではとうに過ぎている。「ツクモを持ってる。それは法律の上で罪だ。書類も偽った。それも罪だ。……ただ、罪になる日を決めたのは、俺じゃない」
ヨルは手配書の賞金額を、自分の帳面にゆっくり書き写した。書き終えて、言った。
「さんぜんまん。……ちゅうがたの、かえらずかん、いっせきぶん」
値段の相場で世界を測る癖は、誰に似たのか、考えるまでもなかった。
ホークからの通信は、布告の四十分後に入った。
画面の中の男は、恩人の顔のままだった。怒ってもいなければ、勝ってもいなかった。
「布告を読んだな」
「読んだ」
「私の局の発令だ。止められなかった。これでも三日、止めた側だ」と、ホークは疲労の色まで正確な顔で言った。「ハル、聞け。出頭しろ。艦とAIを引き渡せば、お前とクルーは守れる。所持は特例運用の経緯を斟酌させる。偽装は時効の手前に置ける。漏洩は、最初から立っていない。老医師の経歴も、難民区画の診療所も、私の机で守れる」
「ツクモは、どうなる」
「中枢は回収される。規定どおりにだ」と、ホークは規定どおりの声で言った。「三十年ものだ、ハル。お前が情を移すのは知っている。だが、あれの劣化は止まらん。野で狂って人を殺す前に、しかるべき設備で停止させる。それはお前たちの言葉で言えば——看取りだろう」
看取り、という言葉の置き方が、完璧だった。完璧すぎた。輸送函の寸法を先に知らなければ、頷いていたかもしれない正確さで、その言葉はハルの仕事の語彙から選ばれていた。
「七年前、お前は組織に切り捨てられた」と男は続けた。「あの夜の借りを、今度こそ返させてくれ。机は用意してある。経歴ごと引き受ける」
「大佐。一つ訊く」ハルは一拍置いて、低く言った。「借りというのは、誰が誰に借りたものだ」
画面の向こうで、男の表情は動かなかった。動かないことを、ハルは七百日ぶんの帳簿に書き足した。
「四十八時間やる」とホークは言った。「賢くあれ。お前は数の読める男だ」
通信が切れた。艦橋の計器の明滅の中から、平坦な声がした。
「艦長。罪状の事実関係は、概ね正確です。私はTYPE-9の九九号機であり、所持は重罪であり、艦籍は偽装されています。私を引き渡すのが帳簿上の最適解です。クルーの安全、凍結口座の解除、嘱託資格の回復。対価は私一基。市場価値の存在しない中古品です。艦長、ご決断を」
「却下だ」
「では、次善案を提示します」と声は言った。間は、なかった。「計算は、発令の四十秒後に終わっています。本艦は四十八時間の猶予内に当港を出ます。問題は手続きです。出港には港湾管制の承認が要り、承認は手配対象に下りません。承認なしの出港は管制網が検知し、追跡が立ちます。推進系七割の本艦は、振り切れません。——つまり次善案には、管制の穴が一つ必要です。穴は、私には作れません」
「人の貸し借りの話だ」
「はい。私の苦手な科目です」
四十八時間の猶予を、ハルは使い切るつもりがなかった。猶予というものは、与える側の時計で動く。向こうの時計が何を待っているのか——封鎖線の到着か、世論の地均しか——は知りようがないが、待たれているものを待ってやる義理はない。
午後、艦は静かに荷を決めた。持っていくものの一覧は短かった。ヴェインの遺品の箱。保留の箱。ナナオの紙のカルテと診療鞄。ヨルの帳面が二冊。操舵席脇の同盟製の星図は、備品でなく遺品として目録に移した。捨てていくものの一覧は、長かった。月極の保管庫の予備部品、港の信用、二年かけて作った取引先の顔、それから、港そのもの。
ナナオは夕方、一人で外出して、一時間で戻った。難民区画の診療所の鍵を、隣の薬種屋に預けてきたという。
「書き置き一枚でな。薬棚の在庫表と、診とる連中の経過のメモを付けた。……週の半分、五年通った診療所じゃ。畳むのに、書き置き一枚とは安うついた」
「戻ったら、また開ければいい」
「そうじゃの」と老医は言った。言い方で、信じていないのがわかった。信じていないことを言える程度には、この艦の夜は正直にできていた。
ヨルは自分の荷物を、寝台の上に並べて点検していた。帳面が二冊。ハルのくれた携帯端末。ヴェインの操舵手袋は、自分の荷物に入れかけて、やめて、操舵席の脇へ戻しに行った。
「てぶくろは、ふねの、そなえつけ」と彼女は言った。「ふねと、いっしょに、にげる」
◆
同じ朝、テネブラエ傭兵ギルド支部の受付台帳に、新しい手配案件が載った。
ミミナは受注画面を開いたまま、長いこと指を動かさなかった。逮捕協力、三千万。中型の還らず艦一隻分。窓口で七年働けば、数字が誰を動かすかは、顔より先にわかる。開店から一時間で照会は十一件。うち四件は、先月まで葬儀屋の撃破認定書をこの窓口に通していた稼業の者だった。
昼前、その一人が窓口に立って、登録証を出しながら訊いた。
「あんた、あの男の味方か」
「窓口に、味方の欄はないの」と彼女は言った。「あるのは受付番号だけ。——十二番。お並びなさい」
受付の彼女に、受理を拒む権限はない。台帳の備考欄に、彼女は何も書かなかった。書かない、ということを書く欄は、台帳にはない。
窓の外、分署の桟橋では巡視艇が二隻、係留を解いていた。掲示の哨戒予定表は今朝書き換えられ、第七桟橋を含む西側の検問線が、なぜか今夜だけ、東に寄っていた。書き換えの決裁印は、分署長のものだった。人手も予算もない、というのがあの男の口癖であることを、港じゅうが知っている。
◆
夕刻、《送り火》の通信席に、非公式の回線が一本立った。符牒は、古い取引相手のものだった。
カンプの声は、前置きを全部省いていた。
「三十分後、第七桟橋の管制が落ちる。理由は俺も知らん」
それだけ言って、回線は切れた。