第022話 臨検

 外縁航路第三検問宙域。哨戒・臨検業務の初日、《送り火》は強襲巡洋艦にはおよそ不似合いな検問位置についた。

 仕事の中身は単純だった。航路を流れる貨物船を順に呼び止め、識別信号と積荷目録と航行記録を照合し、数字の合わない船には乗り込んで貨物区画を開ける。停船命令を受けた船は、黒い軍艦構造の艦影を視認した瞬間、例外なく素直になった。検問の効率という点では、この艦の人相の悪さは立派な資産だった。

 一隻目は第二星系行きの穀物輸送船で、目録と中身が小数点まで一致した。船長は終始上機嫌に協力的で、別れ際に「あんたら、例の葬儀屋かい」と訊いてきた。ハルは「臨検は終了した。安全な航海を」とだけ返した。二隻目は旅客を九人乗せた郵便船。旅客名簿の一人が出港地の記録と食い違ったが、照会すると単純な転記ミスだった。書類は人間が書く。人間が書くものは間違う。間違いと嘘の区別をつけるのが、この仕事のほとんどすべてだ。

 検問位置での滞留は、ヴェインの操艦だと燃料をほとんど食わなかった。航路の重力的な澱みを拾って、最小の噴射で艦を留める。教えられてできる種類の芸ではなかった。ツクモが「自動制御比で燃料消費マイナス一八%。記録します」と言い、ヴェインは何も答えなかった。禁制AIに腕前を採点される元艦長の気分を、ハルは想像しないことにした。

 三隻目で、嘘が来た。

「五千トン級貨物船、停船しました」とツクモが言った。「積荷申告、機械部品および再生樹脂。発信港の出港記録と、質量計測値が一致しません。誤差、二・三トン」
「重いのか、軽いのか」
「重い方です。申告外の積荷が存在します」
「乗る。接舷してくれ」
「……舵、もらう」とヴェインが言った。

 接舷誤差は三十センチを切っていた。ハルは耐圧服に保安機構の臨検章を付け、記録端末を持って渡った。武器は携行しない。規程上は認められているが、貨物船の通路で銃を抜く羽目になった臨検は、その時点で手順のどこかが間違っている。手順を間違えないことだけが、丸腰の人間の装甲だった。

 船内は古い油と汗の匂いがした。乗員は五名、全員が壮年の男で、全員がハルの臨検章ではなく目を見た。船長は六十前の痩せた男だった。航行記録の提示を求めると、男は黙って端末を渡し、それから貨物区画までの通路を先に立って歩いた。抵抗の素振りはなかった。慣れている、とハルは思った。臨検にではない。諦めることにだ。

「二・三トン、と言ったか」と、男は歩きながら言った。「計った奴の腕がいいな。うちの船の質量計より正確だ」
「申告外の積荷の場所を言えば、捜索は短く済む」
「再生樹脂のコンテナだ。三列目、二重底」

 申告外の積荷は、男の言ったとおりの場所にあった。

 防錆梱包のまま整然と並んだ、連合軍制式小銃が四十挺。弾薬が一万二千発。軍放出品の刻印は削られていたが、削り方が几帳面すぎて、かえって出所を語っていた。梱包の手際も、固定の角度も、補給科の教範どおりだった。几帳面さは抜けない。罪を運ぶときでさえ。

「横流しか」
「……買い手がいて、売り物がある。それだけだ」
 船長は壁にもたれ、天井の照明を見た。
「あんた、これがどこへ行くか知ってて運んでるのか」
「考えないようにしてる。考える奴から先に廃業した」
「行き先を知らない四十挺は、行き先を選ばない四十挺だ」
「説教か」男は初めてハルを正面から見た。「臨検官殿は、自分の運んでるものの行き先を、全部知ってるのか」

 ハルは答えなかった。男も答えを期待していなかった。沈黙のまま、ハルは記録端末を起動し、押収手続きの様式を開いた。品目、数量、発見位置、立会人。指が手順を勝手に進めていく。七年経っても、軍の書類仕事は手から抜けていなかった。

「元軍属か」とハルは訊いた。供述記録に、その欄があったからだ。
「第四補給艦隊。補給曹長で除隊だ」男は短く笑った。笑いには温度がなかった。「除隊金は半年で消えた。倉庫番、解体場、債権回収の使い走り。最後に残ったのがこれだ。——戦争が終わって、俺たちだけ終わってない」
「家族は」
「いない欄に丸をつけとけ。本当のことだ」

 ハルは様式の続きを埋めた。答える言葉を持っていなかったからではない。持っている言葉が、全部嘘になるからだった。終わってない、という言葉に頷く資格だけは、たぶん自分にもある。その資格は、口に出した瞬間に同情の安売りになる種類のものだった。

 保安機構の巡視艇が引き取りに来るまで、四時間かかった。その間、ハルは規定どおり貨物区画を封印し、乗員五名の身元を記録した。一番若い機関員は二十六で、戦争には行っていなかった。行かずに済んだ世代が、行った世代の尻拭いのような船で、行った世代の横流しした銃を運んでいる。供述書の余白に書くことではなかったので、書かなかった。

「なあ、臨検官さんよ」と、その若い機関員が記録の合間に小声で訊いてきた。「船長はどうなる。あの人、悪い人じゃねえんだ。給料だって、遅れたことねえし」
「量刑は裁判所が決める。俺の仕事は記録までだ」
「……記録の書き方で、変わったりしねえのか」
「変わる。だから正確に書く。良くする方にも悪くする方にも、書類は曲げない」
 若者は不満げに口を結び、それから諦めたように壁にもたれた。正確さが誠意の代わりになると、この年齢の人間に信じさせるのは難しい。ハルにも、信じているという自信はなかった。正確さは、彼が差し出せる唯一のものであるだけだった。

 巡視艇の到着予定が画面に出た頃、ツクモが艦から私信を入れてきた。
「艦長。当該船の航行記録を解析しました。過去の航跡に、同一パターンの質量誤差が四回。本件は初犯ではありません。供述の『最後に残ったのがこれだ』は、時系列上は正確ですが、印象操作の効果を持ちます」
「知ってる。様式の該当欄には航跡解析を添付済みだ」
「確認しました。——艦長は同情と記録を分離して運用しています。効率的です」
「褒めるな」
「褒めていません」

「検挙実績は契約評価に加点されます」
 帰艦したハルに、ツクモが言った。事実だけを述べる平坦な声が、ブリッジの温度を二度ばかり下げた。
「武器四十挺の市場価値はおよそ百二十万cr。流通先の想定は緋蓮団系列、または難民区画の自警組織。本件押収により、将来の死傷者数の期待値は統計的に低下します。有益な業務です」
「そうだな」
「同意の声色ではありません」
「同意したよ。事実だ」
「事実への同意に、感情の一致は不要です。ですが記録します。艦長は本件を、有益かつ不快と評価している」
「……勝手に記録しろ」
 事実は有益で、有益なものがこんな手触りをしている。それだけのことだった。

 引き渡しのとき、巡視艇の係官に両腕を取られた船長は、通廊の手前で一度だけ振り返った。そしてハルの顔を、値踏みでも恨みでもない目でしばらく見た。

「あんた、軍にいたな」
「……なぜそう思う」
「書類の書き方でわかる。押収品目の並べ方が補給科の順番だった。重量物から先、危険物は末尾に注記。あの様式、現役の頃のまんまだ」男はわずかに顎を引いた。敬礼の名残りのような動きだった。「終わってる顔をして、終わってない側の書き方をする。妙な男だ」

 係官が男を促し、通廊の気密扉が閉じた。それきりだった。男の量刑がどうなるのか、ハルは知らない。知る手続きは存在するが、使うつもりはなかった。知ったところで、できることの欄は空白のままだ。

 その日の日次報告に、ハルは検挙一件と臨検七隻を記載した。契約三十日のうち、五日が過ぎた。報酬百二十万crを三十日で割れば日額四万cr。臨検一隻あたり五千七百cr。検問の数字はどこまでも細かく割れて、割れば割るほど、何の値段なのかわからなくなった。

 夜——艦の時間でいう夜、検問宙域には昼も夜もない——ハルは自室で私的な帳簿を開いた。

 誰にも見せたことのない頁。七年分の死者の数字が並ぶ頁の末尾に、先月、初めて書いた引き算がある。四千十二、引く、一。完済のない分割払いの、最初の一行。

 撃破数は、まだ一のままだ。引き算は始まったばかりで、足し算の方は——とハルは思った。今日押収した四十挺は、どこかの誰かを撃つはずだった四十挺だ。それを止めたのなら、今日は数字の増えなかった日なのかもしれない。あるいは、運び屋を一人廃業させて、男の残りの人生をどこかの帳簿の借方に付け替えただけかもしれない。

 どちらなのかを確かめる方法は、この宇宙のどこにもなかった。確かめられない貸借を抱えたまま、それでも帳簿をつけ続けるのは、つけることをやめた日に自分がどうなるかを、知らないからだ。やめてみて確かめる勇気は、七年かけても貯まらなかった。ハルは帳簿を閉じ、灯りを落とした。検問宙域の「夜」は、灯りを消すことでしか作れない。

 翌々日の当直時間、ツクモが新たな船影を捉えた。

「航路外縁、距離八万キロ。低速航行中の大型船を検知。識別信号——無国籍コードです。船級照会の結果、旧同盟領の入植地連絡船。定員二百四十名」
 一拍おいて、ツクモは続けた。
「熱源と生命維持系の出力から推定される乗船人数、約七百四十名。定員の三倍です。船名登録、《アルカ》。入港許可は——どの港からも、出ていません」

 優先リストの先頭にあった文字を、ハルは思い出した。発見次第、停船させ指示を仰げ。

 操舵席のヴェインが、ゆっくりと顔を上げた。旧同盟領の入植地連絡船。その船級が何を意味するかを、彼の方が正確に知っているはずだった。

「停船信号を」と、ハルは言った。声は自分でも驚くほど平坦だった。