第042話 揺り籠
縫航ゲートを抜けて九日目、《送り火》は第二星系の航路屈曲点から〇・三光秒離れた残骸帯の縁に、機関を絞って漂っていた。
第二星系は死んだ星系だ。有人ステーションは戦時中に放棄され、今あるのは航路標識と、無人の中継ブイと、大戦の残骸帯だけ。航路は本来この星系を素通りするためにある。その素通りの道筋で、十二隻が消えた。
受動観測に二日。能動センサーは一度も使わない。レーダー波は出した瞬間にこちらの位置を教える名刺になる。こちらが見る前に見つかれば、それで終わりの相手だった。光学望遠鏡と重力計と、宙を漂う電波を黙って拾う受信機。猟は、見る我慢くらべから始まる。
「光学、補正完了。——出ます」
ツクモの声とともに、メインモニタに望遠像が結ばれた。
長い艦だった。
全長九百メートル級。大戦末期の護衛母艦。艦体中央から後方にかけて、貨物船を抱え込むための係留腕が肋骨のように並んでいる。船団を腹の下に抱いて飛ぶための艦だ。設計図のとおりの、本来の使い方のままの姿で、それはそこにいた。
ただし、抱えているものが違った。
「……係留腕に、船がいる」
ヴェインが呟いた。拡大された映像の中、係留腕の一本一本に民間船が繋がれていた。中型貨物船、鉱石運搬船、旅客船が一隻。数えられるだけで十一隻。十二本目の腕には、引き千切れた船体の前半分だけが残っていた。振り切ろうとして、千切れたのだろう。残り半分がどこへ行ったかは、考えない方がよかった。
「照合します。形状一致、十一隻。すべて失踪船名簿に記載の船です」
撃沈されたのではなかった。失踪した船は、ここにいた。七年分、一隻ずつ。
「推定します。当該艦の識別系は劣化により、航路を通過する民間船を「護送対象の船団所属艦」と誤認しています。誤認した船に対し、軍の船団統制プロトコルで停船と随伴を強制。応じない船は推進部を撃って無力化し、係留腕に回収する」
「回収して、それからどうする」
「護ります」
ツクモは平坦に言った。
「護送任務の規定どおりに。外敵から護り、隊列を維持し、目的地への航行を続けようとします。——ただし当該艦には、係留した船の乗員へ補給を行う機能がありません。軍の船団は自前で補給を持つ前提だからです」
艦橋が静かになった。
係留された十一隻のうち、灯の点いている船は一隻もない。電力が尽き、空気が尽き、水が尽きる。母艦はそれを知覚しない。知覚する設計になっていない。護られたまま、船は順番に死んでいく。
「……ギルドの古い記録に、この宙域の渾名があった」
ハルは端末を読み上げた。
「《揺り籠》。七年前、最初に失踪が出た頃に、生き残りのサルベージ屋がつけた名だ。仲間の船が腕に抱えられていくのを、デブリの陰から見ていたらしい。抱いて、揺らして、眠らせる」
「悪趣味じゃな」
ナナオが言ったが、声に茶化す響きはなかった。
「傭兵の命名は正確です。当該艦の挙動の本質を、一語で記述しています」
◇
観測は続いた。猟の前の観測は、獲物の一日を盗み見ることだ。
《揺り籠》の一日は、恐ろしく規則正しかった。〇六〇〇、隊列点検。係留腕の固定状態を一本ずつ確認する整備腕の動き。〇九〇〇、周辺警戒の子機交代。一二〇〇、針路保持の姿勢修正——目的地もないのに、艦首は常に同じ方位を向け直される。そして一八〇〇。
「全係留船に対する一斉送信を確認。船団統制波です。内容は——点呼です」
「点呼」
「所属艦に応答を求める定時通信です。応答、ゼロ。十一隻すべて無応答。当該艦は無応答を記録し、三十分後に再送し、再度記録し、翌日も同時刻に送信しています。観測した二日間、同一の挙動でした」
死んだ船に、毎日、同じ時刻に、名を呼ぶ信号を送る。応えがないことを記録して、また呼ぶ。それを七年。感傷で言えば弔いに見える。機械の実際で言えば、ただの未完了処理の再試行だ。どちらに見えるかは見る側の問題で、艦の問題ではない。ハルはモニタから目を逸らさずに、その両方を頭に置いた。
◇
観測二日目の夜、微弱な信号が拾えた。
係留腕の七番、中型貨物船。救難ビーコンの自動送信に、不規則な手動の断続が重なっている。モールスでも軍の符丁でもない、ただ電源を入れたり切ったりしているだけの信号。
「生体反応様の熱源、一。当該貨物船の機関区画です」
「……生きてるのか」
「貨物船の機関区画は、艦内で一番頑丈で、一番物が置いてある場所じゃ」とナナオが言った。「非常食、水の予備、酸素の予備瓶。立て籠もるならそこしかない。じゃが——」
老医師は望遠像の貨物船を見た。
「七番の船の失踪は、名簿では四ヶ月前じゃったな。四ヶ月、独りで。残りの蓄えから逆算して、保ってあと二十日。それより、心の方が先に尽きるかもしれん。人間はな、艦長。飯と水があっても、返事のない暗闇に四ヶ月おったら壊れるんじゃ」
二十日。ハルは星図の上に時間を置いた。撃破だけなら、時間をかけて確実な手を組めばいい。一ヶ月でも二ヶ月でも観測を重ね、最も安全な一手を選べる。だが救難信号の主には、こちらの都合に付き合う残量がない。
「艦長。観測効率の改善案を提示します」
ツクモの声が、考えのまとまる前に割り込んだ。
「当該救難信号を当艦で増幅し、航路へ向けて中継再送します。信号に誘引された民間のサルベージ船が接近すれば、《揺り籠》の捕獲挙動——子機の運用、停船強制の手順、火器使用の閾値——を、安全距離から実地観測できます」
「囮に、民間船を使えと言っているのか」
「はい。観測データの価値は作戦成功率を9%改善します。誘引された船が回収された場合でも、係留腕には空きがあり、即時の死亡は発生しません。期限が一つ増えるだけです」
期限が一つ増えるだけ。その言い回しの完璧な正確さに、艦橋の温度が下がった。ナナオが何か言いかけ、やめた。言葉で勝てる相手ではない。彼女の中では、すべての命が同じ換算表に載っている。載せる枷を、造った人間が外したのだ。
「却下だ」
「記録します。本日の却下、一件目」
「数えるな」
「記録の機能は停止できません」
ハルは星図に向き直った。胸の奥の冷えは、ツクモへの怒りではなかった。あの提案を、ほんの一瞬、数字として検討した自分への冷えだった。この艦に長くいると、換算表が伝染する。それを止めるのが艦長の仕事の何割かを占めるということは、契約書のどこにも書いていなかった。
「艦長。確認します。本契約の目的は当該還らず艦の撃破であり、生存者の救出は契約に含まれません」
「知っている」
「では、続報です。悪い方の」
ツクモはモニタを切り替えた。母艦の周囲に、小さな光点が規則正しく散っていく。
「護衛子機、確認できただけで十四機。母艦を中心に三層の哨戒網を編成しています。内層四、中層四、外層六。哨戒周期は三層で同期しており、DP-09のような「索敵の窓」は存在しません。網に穴がない」
「正面からは」
「接近不能です。子機一機の火力は脅威になりませんが、十四機に同時に取り付かれた場合、当艦の損耗は確実です。母艦の対空火網と合わせ、撃ち合いの勝率は計算するまでもありません。参考までに、この哨戒配置は大戦中の教範どおりです。教範どおりというのは、穴を全部塞いだ後の配置という意味です」
撃ち合えば負ける。いつもの前提が、いつもより重くのしかかる。九百メートルの艦体と十四機の子機。そして腹の下には、護られたまま死んだ十一隻と、まだ死んでいない一人。
「……命令は何だ。あの艦の、最後の命令は」
「管制波の構造と、大戦末期の部隊配置記録から推定します。——「避難船団を集結点まで護送せよ」。終戦の混乱期、外縁の入植地から民間人を退避させる船団の護衛任務です」
「集結点はどこだ」
「七年前に廃止された座標です。船団の再集結指令を待ちながら、当該艦はこの屈曲点で待機を続けています。待機中に発見した「はぐれた船団所属艦」を、回収しながら」
誰も護れと頼んでいない。護られた者は全員死んだ。それでも艦は、護っているつもりでいる。
撃つ判断は正しい。あれは現に人を殺し続けている装置だ。来月も、来年も、航路を通る船を抱きしめては窒息させる。正しさを疑う余地はどこにもない。
ないことが、いちばん堪えるのだと、ハルは五隻目にしてもう知っていた。
「ヴェイン。観測位置を維持。ツクモ、哨戒網の全周期を記録しろ。何日かかってもいい——いや」
ハルは言い直した。
「二十日以内だ。猟の前に、引き取らなきゃならないものができた」
「救出を作戦に組み込むのですね。費用対効果の試算を」
「あとで聞く」
「「あとで聞く」を記録します。艦長、過去四回の猟で同じ言葉が三回使われ、三回とも聞かれていません」
「……記録が正確で何よりだ」
モニタの中で、《揺り籠》はゆっくりと姿勢を変えた。係留した死者たちを抱え直すような、長い長い回頭だった。七年間、誰も来ない集結指令を待ちながら、あの艦は今夜も船団の隊列を整え続けている。
一八〇〇。点呼の信号が、死んだ十一隻に向けて放たれた。応答、ゼロ。三十分後、再送。
救難ビーコンの断続が、また一度、点いて、消えた。あれだけが、この宙域でただ一つの、機械でない返事だった。
時間との競争が始まっていた。