第091話 群れ
報せは、夜明けの定時通信で来た。
分離派の残骸採掘区が、一夜で消えた。
消えた、という語をハルは最初、誇張として読んだ。読み進めて、誇張でないことを知った。主戦場跡の縁に置かれた採掘区——大戦の残骸から部材を掘り出す、分離派の資金源のひとつ——から、係留中の残骸十七体、推進剤タンク架の中身、保管庫の収蔵物が、まとめて無くなっていた。施設は残っている。人も、一部だけは残った。当直十一名のうち、退避槽に逃げ込んだ三名が。
「保安機構の要請です。現場検証と周辺哨戒。介入部隊の現役艦で、当該宙域に単艦で入れるのは本艦だけです」とツクモが言った。「正確には、他の艦は入りたがらないだけですが」
「……出す。四時間で行けるか」
「三時間五十分で。燃料は勿体ないですが」
《送り火》は朝のうちに桟橋を離れた。昨夜、港の観測ドームで子供たちが数えた九つの光点のことを、ハルはまだ知らない。
採掘区は、骨だけになっていた。
桟橋は無傷だった。管理棟の照明も生きている。なくなっているのは、価値のあるものだけだった。係留腕は焼き切られたのではなく、継手から正確に外されていた。推進剤のタンク架は空で、移送配管には閉栓の処理までしてある。略奪の現場なら、ハルは仕事柄いくつも見てきた。これは略奪ではなかった。荷役だった。
「保管庫の照合を終えました」ツクモの声がブリッジに流れた。「分離派が転売用に収蔵していた自律中枢の残骸、台帳上二十六体。全数が持ち去られています。武器部品の棚は、手つかずです」
「……砲を置いて、死んだ中枢を持っていったのか」
「はい。砲も火器管制も弾薬も残っています。回収されたのは推進剤、構造材、中枢類。破壊ではなく、回収です。艦長」
ヴェインが操舵席から、空のタンク架を長いこと見ていた。
「……補給だ」と彼は言った。「艦隊が、出撃前にやる順番だ」
生存者三名の聴取記録が、保安機構から転送されてきた。
退避槽で生き延びた老採掘員の声は、記録越しでも掠れていなかった。掠れる段階を、通り過ぎた声だった。
「艦隊だった。九隻——いや、十一はいた。輪形を組んでた。最初の射撃で曳船と作業艇をやられて、八人死んだ。あれは……掩護射撃だったんだ。荷役の邪魔になる動くものだけ、先に潰した。それから二隻が桟橋に着けて、残りは外で網を張った。挟み込むみたいに」
「作業の所要時間は」と聴取官の声が訊く。
「十二分だ。退避槽の時計を見てたから間違いない。十二分で全部積んで、来たときと同じ隊形で出ていった。撤収の順番まで決まってた。……あんた、還らず艦を見たことがあるか。あれは一隻で漂って、一隻で撃ってくるもんだ。群れやしない。群れ方なんて、知らないはずなんだ」
知らないはずのことを、彼らは整然とやった。ハルは聴取記録を二度再生し、二度目は目を閉じて聞いた。七年間、還らず艦の文法はひとつだった。最後の命令を、一隻きりで守る。哨戒なら一隻で哨戒し、護衛なら一隻で護衛し、壊れているなら一隻で撃つ。撃つ側はその文法に合わせて猟の段取りを組み、賞金の相場も保険の料率も、その文法の上に建っていた。その文法が、昨夜、書き換わった。
死者は八名だった。曳船の機関員が二人、作業艇の操員が五人、桟橋の管制士が一人。ハルは保安機構の様式で検証報告を起こし、二十六ある記入欄を全部埋め、それから別の端末で、自分の帳簿に八つの数字を写した。撃った死者ではない。だが還らず艦が殺した数字を、七年つけてきた帳簿だった。つける手の止まらないことが、今夜はわずかに腹立たしかった。
「きかせて」とヨルが言った。「ここ、ちかい。いまなら、よく、きこえる」
ナナオが渋い顔をし、ハルは時間を区切った。十分。熱が出たら打ち切り。ヨルは監視席で目を閉じ、両手を膝に置いて、聴いた。
三分で、彼女の呼吸が浅くなった。七分で、指が膝の布を掴んだ。
「……たくさん、いる。ぜんぶ、ちがう歌。とまった戦争の、ばらばらの歌。哨戒のうた、護衛のうた、こわれたうた。いつもの、還らず艦。でも——」
そこで彼女は、聴いたことのないものを言葉にするための間を取った。
「うえに、おなじ拍子が、のってる。ばらばらの歌が、拍子のところだけ、そろう。ばらばらのまま、そろってる。だれかが……拍子を、取ってる」
九分四十秒で、ヨルの鼻から血が一筋落ちた。ナナオが回線を引き抜くより早く、彼女は椅子の中で崩れた。
「ここまでじゃ」老軍医は娘を抱き上げながら、誰にも反論させない声で言った。「続きは禁止する。医者の権限でな。……拍子を取っとる奴が誰かは、耳以外の方法で調べい」
医務室に運ばれるとき、ヨルは半分落ちた意識の中で、報告の続きを言った。
「ほうこく。……拍子は、とても、しずか。おこってない。いそいでも、ない」
怒ってもいない、急いでもいない何かが、十一隻に荷役をさせている。それがいちばん、ハルには寒かった。
「解析結果を報告します」とツクモが言った。「ヨルの聴音と、現場に残留していた指揮通信の中継波形を照合しました。単一指揮系統です。構成艦は旧連合籍と旧同盟籍が混在——群れに、旗はありません。中継出力と書式階級から、指揮個体は大戦期の指揮巡洋艦級と推定します」
「指揮巡洋艦か」ナナオが戻ってきて、医務室の方を一度振り返った。「艦隊を回す頭が、丸ごと野に残っとったわけじゃ」
「あわせて、観測ファイル『集積仮説』の区分を変更します」ツクモは続けた。「作成から二百日あまり。観測事例、本件を含め九件。仮説の区分を外し、観測事実として再登録します。——訂正もあります、艦長。私は彼らが『集まり始めている』と書きました。不正確でした。彼らは集まっていたのではありません。集められていたのです」
仮説、という言葉の温度が一段下がる音を、ハルはブリッジで聞いた気がした。長いこと積まれてきた違和感——群れからはぐれた斥候、交戦痕なしに立ち去る艦、深部へ揃っていく針路、数えに来て名乗らない何か——が、ひとつの主語の下に並び直されていく。主語は、まだ名前を持っていなかった。
その晩のうちに、賞金の告示が出た。出方が、異様だった。統治府と分離派と、連合通商監理局——二年殺し合ってきた三者が、共同で拠出していた。指揮個体に五千万cr。構成艦は一律三百万cr。
「構成艦の相場割れが露骨ですね」とツクモ。「駆逐艦級なら通常一千万からです」
「数が読めないから、一律にしたんだ。賞金は脅威じゃなく、予算で決まる」ハルは告示の末尾を見た。受注状況、零件。組織行動する還らず艦の群れに単艦で挑む傭兵は、外縁回廊のどこにもいない。告示の写しには、保安機構経由の添え書きが一枚ついていた。宛名は屋号でも艦名でもなく、悪名の方だった。葬儀屋へ、と。
「敵同士が財布だけ並べよった」ナナオが乾いた声で言った。「あんたの稼業も、出世したのう」
「受けるかどうかは、まだ決めない」ハルは添え書きを伏せた。「指揮巡洋艦に正面戦は論外だ。杭は三本。相手は最低十一隻。賞金の計算より先に、生きて請求に行ける段取りがあるかどうかだ」
「……輪形陣」とヴェインが言った。操舵席から動かないまま、聴取記録の戦術図を呼び出している。「同盟教範第四類の収容隊形だ。崩れがない。教範どおりすぎる。……教範どおりの艦隊は、教範どおりに殺せる。だが、教範を選んで使ってる頭がいるなら、話は別だ」
寡黙な男の長口上は、それ自体が警報だった。ハルは頷き、決定は保留した。保留できる時間が長くないことは、全員が分かっていた。
ツクモが星図に予測針路を引いたのは、出航前の最終確認のときだった。
消えた採掘区、過去七ヶ月の「数えに来た何か」の出没点、昨夜の撤収方位。三つを重ねると、群れの動線は推進剤と部材の在処を順に辿っていた。補給の論理で動く者の針路は、補給の論理で読める。
「次に価値のある集積点を表示します」
星図の上で、針路の先がゆっくり明滅した。
シネレオ港だった。